北海道建網大謀網漁業発祥の地
2021年2月22日
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南茅部地区の漁業開拓の歴史
南茅部地域の漁業開拓は,延宝5年(1677年),能登に生まれた漁業経営者「飯田屋与五左衛門」の尾札部移住に始まると言われています。
与五左衛門は,浜に押し寄せる魚の群れと周囲の環境に着眼し,この地でアイヌの人々を指導して漁に励み,やがて浜は賑わいをみせたそうです。
天保10年(1839年),臼尻の「小川屋幸吉」と尾札部の飯田屋三代目与五左衛門が,南部の人「田鎖丹蔵」を網大工として招いて,小川屋幸吉は弁天島沖に,与五左衛門は黒鷲岬の沖に,鮪の大謀網を建てたのが,北海道の大謀網のはじまりと伝えられています。(南茅部町史より)
▲ 北海道建網大謀網漁業発祥之地碑(函館市尾札部町242)
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