国宝|重要文化財|特別史跡|史跡|名勝|重要無形文化財|重要有形民俗文化財|重要無形民俗文化財|[参考]重要文化財(博物館寄託資料)
国宝
名称 |
土偶 |
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指定年月日 |
平成19年6月8日 |
所在地 |
函館市臼尻町551-1 函館市縄文文化交流センター |
構造・形状等 |
高さ41.5cm,幅20.1cm,重さ1,745g |
説明 |
昭和50年に,函館市尾札部町(旧南茅部町)著保内野遺跡から発見された中空土偶です。
高さ41.5cm,幅20.1cm,重さ1,745gと国内最大級の大きさで,非常に写実的で精巧なため,昭和54年に国の重要文化財に指定された後,文化庁の海外展覧会に数多く出品されました。
土偶製作の時期は,縄文時代後期頃(約3,500年~3,200年前)とみられ,この時代の土器の特徴である細い粘土紐に刻みを入れた文様がついています。
全体的な造形美と中空土偶として国内最大のものであることなど,国を代表する文化財として,平成19年6月8日に国宝に指定されました。 |
備考 |
ト書:北海道函館市著保内野遺跡出土 |
重要文化財
名称 |
木造大日如来坐像 |
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指定年月日 |
昭和42年6月15日 |
所在地 |
函館市住吉町12-23 高野寺 |
構造・形状等 |
寄木造箔押,座高約160cm |
説明 |
大日如来坐像を本尊とする高野山真言宗高野寺は,明治17(1884)年に東川町に創建しました。明治24年に青柳町へ移転し,その際に本山である高野山金剛峯寺から高野山谷上の大日堂の本尊であったこの仏像を下付されました。
高さ約160cmの大きな寄木箔押の坐像です。仏師定朝の流れをくんだ優美な作風で,平安時代後期の日本化した品のよい仏像の特徴を伝える金剛界の大日如来像です。 |
備考 |
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名称 |
太刀川家住宅店舗 |
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指定年月日 |
昭和46年12月28日 |
所在地 |
函館市弁天町15-15 |
構造・形状等 |
煉瓦造2階建,桟瓦葺,建築面積116.6平方メートル |
説明 |
明治34(1901)年,米穀商などとして活躍した初代太刀川善吉により建築された2階建て土蔵造りの店舗で,外観は,煉瓦造りの壁を漆喰で塗りこめた不燃質和風建築です。
間口は5間半(約9.9m),奥行6間(約10.8m),建物の側面には開口部が無く,正面戸袋の両側に防火用の袖壁を構えるなど,大火にそなえた防火対策に腐心した造りになっています。2本の鋳鉄柱を立ててその上に三連のアーチを設けるなど,洋風建築のデザインも加味されています。 |
備考 |
附 明治参拾参年一月ヨ利家宅新築簿 一冊
明治三十三年材木附立帳 一冊 |
名称 |
旧函館区公会堂 |
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指定年月日 |
昭和49年5月21日 |
所在地 |
函館市元町11-33 |
構造・形状等 |
本館 … 木造2階建,桟瓦葺,建築面積886.3平方メートル
附属棟… 木造1階建,桟瓦及び鉄板葺,渡廊下付属
建築面積133.9平方メートル |
説明 |
この建物は,明治40(1907)年の大火で焼失した町会所に代わる施設として建設され,明治43年に完成しました。建設資金,総工費5万8千円のうち5万円を豪商相馬哲平が寄附しました。明治44年,当時皇太子の大正天皇が行啓で来函の際には,2階の貴賓室が宿泊所として使用されました。
正面にバルコニーを見せる木造2階建の擬洋風建築で左右対称,屋根は桟瓦葺で屋根窓が設置されています。青灰色と黄色で個性的な彩色が施され,両袖妻の唐草模様の装飾や正面玄関等にあるコリント式円柱の柱頭飾りの彫刻も美しいものがあります。 |
備考 |
昭和55年12月18日 附属棟追加指定 |
名称 |
函館ハリストス正教会復活聖堂 |
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指定年月日 |
昭和58年6月2日 |
所在地 |
函館市元町3-13 |
構造・形状等 |
煉瓦造1階建,銅板葺,正面八角塔屋付,
建築面積150.9平方メートル |
説明 |
函館ハリストス正教会復活聖堂の前身は,安政5(1858)年に来函した初代ロシア領事ゴシケヴィッチが建てた領事館附属聖堂です。
明治40(1907)年の大火のため焼失し,大正5(1916)年,煉瓦造りの耐火建築物として再建されたのが現在の聖堂で,日本初のロシア正教の教会となりました。
外観は,漆喰塗仕上げの白壁と緑色銅板屋根,平屋建て,鐘塔を持ち,屋根には6つの葱型のクーポラ,その上に十字架を戴き,ロシアビザンチン様式を基本としています。 |
備考 |
附 聖障一基,正門一棟 |
名称 |
遺愛学院(旧遺愛女学校)旧宣教師館,本館 |
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指定年月日 |
平成13年6月15日 |
所在地 |
函館市杉並町23-11 |
構造・形状等 |
本館 … 木造2階建,鉄板葺,
建築面積1134.85平方メートル
旧宣教師館 … 木造2階建,地下1階,鉄板葺,
建築面積288.70平方メートル
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説明 |
遺愛女子高等学校は当初,明治15(1882)年函館市元町に開校しました。明治18年に遺愛女学校と改称し,明治41年に現在地に移転,同時に宣教師館も建築されました。
本館は,木造2階建て,外壁がサーモンピンクのオイルペイント塗りで,窓枠等がホワイトに統一された,左右対称型の瀟洒(しょうしゃ)なアメリカンスタイルの学校建築物です。
旧宣教師館は木造2階建てで,外壁が白のオイルペイント塗装に屋根は黒色の便利瓦(昭和4年(1929)頃,鉄板に葺き替え)で,洗練されたアメリカンスタイルの造りで,通称「ホワイトハウス」と呼ばれています。純白のドーマウィンドウ(屋根窓)と東南部の八角形の尖塔が特色としてあげられ,印象的な外観を形成しています。 |
備考 |
附 函館遺愛女学校本校舎新築工事仕様書 一冊
本工事図面仕様書ニ対スル変更及模様替調 一冊
第二回変更個条 一冊
遺愛女学校建築契約書 一冊 |
名称 |
北海道志海苔中世遺構出土銭 |
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指定年月日 |
平成15年5月29日 |
所在地 |
函館市青柳町17-1 市立函館博物館 |
構造・形状等 |
員数 387,514枚 |
説明 |
この出土銭は,昭和43(1968)年7月,函館市志海苔町の道路拡幅工事の際に大甕3個に詰められた状態で発見された大量の埋蔵古銭です。
出土銭の総数は約38万枚を超えるもので,年代の上限の銭は前漢代の四銖半両(紀元前175年初鋳),下限の銭は明代初期の洪武通宝(1368初鋳)と,約1,500年にわたる93種類の古銭で構成されています。
この大量の古銭は,日本海を交易ルートとした特産物取引による収益としての備蓄銭,または,祭祀を行う目的の埋納銭の可能性があります。 |
備考 |
附 甕3点 敷板1点 |
名称 |
大谷派本願寺函館別院 |
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指定年月日 |
平成19年12月4日 |
所在地 |
函館市元町16-15 |
構造・形状等 |
本堂 … 鉄筋コンクリート造,入母屋造,向拝三間,
桟瓦葺,建築面積1,115.11平方メートル
鐘楼 … 鉄筋コンクリート造,入母屋造,桟瓦葺,
建築面積10.68平方メートル
正門 … 鉄筋コンクリート造,一間四脚門,切妻造,
正背面軒唐破風付,屋根モルタル塗 |
説明 |
大谷派本願寺函館別院は,明治40(1907)年の函館大火で堂宇を焼失した後に,当時帝室技芸員であった伊藤平左衛門9世の設計により,鉄筋コンクリート造で再建された寺院建築です。
本堂は,大正4(1915)年11月に竣工しました。正面が33mと大規模で,典型的な真宗本堂形式となっています。大谷派本願寺函館別院は,鉄筋コンクリート造建築の初期の遺構で,伝統様式を再現した我が国で最初の寺院建築として,高い歴史的価値があり,耐火建築として,その後の函館市街地への不燃建築普及の契機となった建物です。 |
備考 |
附
・塀一棟 … 鉄筋コンクリート造,桟瓦葺,折曲り延長29.9m
・南門及び塀一棟
南門 … 鉄筋コンクリート造,一間医薬門,切妻造,桟瓦葺
塀 … 鉄筋コンクリート造,桟瓦葺,折曲り延長92.9m
・設計図面 47枚
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名称 |
北海道豊原4遺跡土坑出土品 |
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指定年月日 |
平成28年8月17日 |
所在地 |
函館市臼尻町551-1 函館市縄文文化交流センター |
構造・形状等 |
一括 70点 |
説明 |
縄文時代早期の墓と思われる10基の土坑から出土した,副葬品と考えられる土器・土製品と,石器の一括です。
特に土製品には,幼児または子どもの足形・手形を押し当ててつくられた「足形・手形付土製品」5点が含まれています。
このような土製品は,北海道南部では早期のものが,また東北地方では後期から晩期のものが知られていますが,本例は前者の一例で,しかも現存最大の「足形・手形付土製品」を含んでいます。
本件は,縄文時代の早い時期における,特異な葬送儀礼のあり方を知る上で,貴重です。
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備考 |
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名称 |
旧相馬家住宅 |
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指定年月日 |
平成30年12月25日 |
所在地 |
函館市元町33番地1 |
構造・形状等 |
主屋 … 木造 建築面積319.12メートル 一部2階建
桟瓦葺・鉄板葺および銅板葺
土蔵 … 土蔵造 建築面積49.69メートル 2階建
桟瓦葺
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説明 |
旧相馬家住宅は,函館屈指の実業家である相馬哲平が明治末期に建てた住宅で,函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区内の高台にあります。
主屋は内外ともに和風意匠を基調とし,港を望む主座敷は,良材を駆使し雄大な座敷飾を備えた上質な意匠の書院です。また,玄関脇に備えた応接室は,外部を下見板張として窓枠などに植物紋様の彫刻で彩り,内部も天井の中心飾りやモールディングなど,繊細かつ上質な洋風意匠でまとめています。和洋の文化が調和する近代の函館における意匠優秀な住宅として高い価値を有しています。
土蔵は主屋に付属しており, 小屋は垂木小屋組で棟木等に合せ材を用いボルト留めとしています。外壁は漆喰塗で軒蛇腹を廻らし,蛇腹下まで簓子下見板を張っており,函館における土蔵建築の好例となっています。
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備考 |
市伝統的建造物指定 平成21年10月16日 |
特別史跡
名称 |
五稜郭跡 |
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指定年月日 |
昭和27年3月29日 |
所在地 |
函館市五稜郭町,本通1丁目 |
構造・形状等 |
面積 250,835.51平方メートル |
説明 |
五稜郭跡は,幕末期の箱館開港に伴い,徳川幕府が諸外国との外交や,海岸防備および蝦夷地統治を目的に設置した箱館奉行所の防御施設で,稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの突角がある星型五角形の西洋式土塁です。7年の歳月を費やして元治元(1864)年にほぼ完成し,郭内には御殿建築の奉行所庁舎や25棟ほどの付属建物が配置されていました。
慶応4(1868)年明治新政府へ引き継がれた後,明治元(1868)年10月には旧幕府脱走軍により占拠され,箱館戦争の舞台となりました。
大正11(1922)年10月12日に国の史跡に,昭和27(1952)年3月29日には特別史跡に指定されました。 |
備考 |
史跡指定 大正11年10月12日
追加指定 昭和4年4月2日 |
史跡
名称 |
四稜郭 |
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指定年月日 |
昭和9年1月22日 |
所在地 |
函館市陣川町 |
構造・形状等 |
面積 21,564.26平方メートル |
説明 |
四稜郭は,明治2(1869)年の箱館戦争時に,五稜郭の北東側約3kmの丘陵上に急造された洋式築城法に基づく堡塁(敵の攻撃を防ぐために作られた陣地)です。
明治2年4月下旬,函館近郊を一望でき,同時に五稜郭及び鎮守府の東照宮を防御するために築造されました。脱走軍兵士200名と付近住民約100名を動員し短期間で完成しましたが,5月11日の新政府軍総攻撃により,わずか数時間で陥落してしまいました。四稜郭の名は,蝶が羽を広げたような四稜の突角を有する形からその名が付けられました。 |
備考 |
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名称 |
志苔館跡 |
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指定年月日 |
昭和9年8月9日 |
所在地 |
函館市志海苔町,赤坂町 |
構造・形状等 |
面積 19,960.14平方メートル |
説明 |
志苔館跡は,函館市東部地区海岸地帯の津軽海峡や下北半島などを望む海岸段丘上に位置する,中世の和人豪族が築いた館跡です。
志苔館は,康生2年(1456)からのコシャマインの蜂起や,永正9(1512)年のアイヌの蜂起で館が陥落した記録があります。
館跡は,四方に土塁が廻る矩形(長方形)で,沢地形を利用した空堀が掘られています。土塁内には,柱間寸法が異なる建物跡,塀・柵跡,井戸跡などが存在していて,館の創建年代は14世紀末から15世紀初頭頃と推定されています。 |
備考 |
追加指定 昭和52年4月27日 |
名称 |
大船遺跡 |
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指定年月日 |
平成13年8月13日 |
所在地 |
函館市大船町 |
構造・形状等 |
面積 71,832.03平方メートル |
説明 |
大船遺跡は,南茅部地区の中心部から北西に約7km離れた大船地区を流れる大舟川左岸に面した標高約40~50mの海岸段丘上に位置しています。
平成8年に南茅部町の霊園整備に伴う発掘調査が実施され,調査対象4,500平方メートルのうち調査完了の3,500平方メートルから100軒を超える竪穴住居跡や膨大な遺物を包含する盛土遺構などが発見され,縄文時代中期を主体とする大規模な集落跡であることが明らかとなりました。 |
備考 |
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名称 |
垣ノ島遺跡 |
(赤線内が史跡指定地) |
指定年月日 |
平成23年2月7日 |
所在地 |
函館市臼尻町 |
構造・形状等 |
面積 92,749平方メートル |
説明 |
垣ノ島遺跡は,北海道南部の太平洋に面する海岸段丘上にあり,約10万平方メートルに広がっています。駒ヶ岳が噴火した縄文時代前期前半を除く,早期前半から後期後半の各期の遺跡が高密度で分布する長期間存続した拠点的な集落遺跡です。
特に,早期後半の墓制や,前期前半に駒ヶ岳の噴火により生活痕跡が一時的に途絶えること,中期における東北北部との交流,後期初頭に大規模な盛土遺構が造成されること,さらには,後期後半を最後に遺跡が全くなくなる事実は,北海道はもとより,東北北部を含めた北日本における縄文時代遺跡の在り方を考える上で極めて重要です。 |
備考 |
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名勝
名称 |
旧岩船氏庭園(香雪園) |
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指定年月日 |
平成13年8月13日 |
所在地 |
函館市見晴町 |
構造・形状等 |
面積 133,175.30平方メートル |
説明 |
香雪園は,行商から身を起こし道内有数の呉服商となった岩船家により造成された和風洋風織り交ぜた大規模で本格的な庭園です。
明治31(1898)年頃,温泉保養地の湯川地区に造成されました。13haを超える広大な園内は,書院風の園亭や池などからなる純和風の園亭庭園区,渓流の滝組など見事な景観を呈している渓流庭園区,さらに煉瓦造温室と沈床式花壇などからなる西洋風の温室庭園区で構成されており,北海道らしい自然地形を利用した風景式庭園です。 |
備考 |
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重要有形民俗文化財
名称 |
アイヌの生活用具コレクション |
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指定年月日 |
昭和34年5月6日 |
所在地 |
函館市末広町21-7 函館市北方民族資料館 |
構造・形状等 |
員数750点
内訳 衣食住関係197点,生産関係174点,
運搬関係9点,信仰関係362点,楽器8点 |
説明 |
函館出身で北方民族学研究の世界的な権威者である馬場脩(1892~1979)が昭和10(1935)年前後に樺太,千島,北海道の各地において学術調査を行い,収集した数多くの貴重な民族資料や考古資料です。
特に,北海道,樺太,千島地域で使用されたアイヌ民族資料は,儀礼用具の捧酒篦(ほうしゅひ)や嗜好品として愛用された喫煙具,テンキ草で編んだ物入れ,三弦琴など世界でも数少ない比類のない資料として研究機関や学会で注目されています。通称「馬場コレクション」といわれています。 |
備考 |
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