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史跡志苔館跡

公開日 2023年06月26日

更新日 2024年01月11日

続日本100名城スタンプ設置についてはこちら

史跡志苔館跡の空撮写真

 史跡志苔館跡の空撮写真

 

 

基礎情報

 

所在地:函館市志海苔町・赤坂町 

面積:19,960.14平方メートル 

施設:トイレ,あずまや,水飲み場 

   ※駐車場はありません。

 志苔館跡リーフレット表.pdf(2MB)

  志苔館跡リーフレット裏.pdf(2MB)

 

史跡志苔館跡のあずまやとトイレの写真

史跡志苔館跡のあずまやとトイレ

 

 

志苔館跡の位置

 

国指定史跡志苔館跡は,函館市東部地区で市の中心部から約9km離れた,標高17~25m程の海岸段丘縁に位置し,館跡からは南西側の函館山と市街地および津軽海峡,さらには遠く下北半島などを一望することができます。また,この辺りの海岸線は古くから「宇賀の昆布」という良質昆布の産地でもあって,天然の良港が多く存在しています。

 

史跡志苔館跡と志海苔漁港の空撮写真

史跡志苔館跡と志海苔漁港の空撮写真

 

 

志苔館跡の構造と規模

 

館跡は,四方に土塁が巡らされたほぼ矩形を呈し,沢地形などを利用して空壕が掘られています。土塁で囲まれた郭内は,東西70~80m,南北50~65m,約4,100平方メートルの規模で,北から南へ緩やかな傾斜がある平坦地となっています。土塁は北側が4~4.5m,南側は1~1.5mの高さとなり,西側と東側は土塁が途切れて,それぞれ出入口となっています。また,北側と西側の空壕は幅5~10m,深さ最大3.5mほどで,断面が薬研または箱薬研の形状となり,特に西側は土橋を挟んで二重壕が掘られています。

 

志苔館跡郭内の写真

志苔館跡郭内

 

  

志苔館の沿革

 

志苔館が記録に登場するのは,松前藩の史書「新羅之記録」中で,長禄元(1457)年の項に,「…長禄元年五月十四日夷狄蜂起来而,攻撃志濃里之舘主小林太郎左衛門尉良景…殺狄之酋長胡奢魔允…」と康正2(1456)年からの「コシャマインの戦い」により館が陥落したことが記述されています。さらに,永正9(1512)年の項にも,「永正九年四月十六日宇須岸志濃利與倉前三舘所攻落夷賊…小林太郎左衛門尉良景之子彌太郎良定…」と再度アイヌとの戦いにより館が陥落した記述がみられます。しかしこの後は,館主であった小林氏が松前藩に従属したといわれ,志苔館が記録上に登場することはなくなり,事実上廃館となったものと推定されています。

 

  

発掘調査された志苔館

 

函館市教育委員会により,昭和58年度から史跡整備を目的とした郭内外の発掘調査が実施され,建物跡,塀・柵跡,井戸跡などの遺構と中国製の舶載陶磁器や国産陶器を主とする生活用具類が発見されています。 

建物跡では,柱間寸法が7尺および6.5尺基本単位の掘立柱建物と6尺基本単位の礎石建物があり,郭内の変遷が大きく3期(14世紀末頃~15世紀初頭頃・15世紀中頃・16世紀以降)にかけて移り変わったことが明らかとなりました。 

次に,これらの建物を囲う柵や板塀などの遺構も発見されましたが,それぞれ建物との組み合わせや時間的な違いも明らかとなりました。館跡内の北東側に1基のみ存在していた井戸跡は,深さ5mほどの竪穴を掘り,その中に四隅に柱を据付けて,横桟で繋ぎ,柱の間を4枚の立板で囲う「方形隅柱横桟式」と呼ばれる方式によるものです。平安京期の中世遺跡で発見された鎌倉期末頃に流行した形態を踏襲しているものです。 

出土した陶磁器は,中国の南方地域で生産された青磁・白磁などの舶載陶磁器や,越前や珠洲等で生産された甕や皿などの国産陶器など,ほぼ15世紀初頭のものが多いということがわかりました。また,15世紀の中頃から後半頃にあたるものも,少量ながら存在することもわかりました。

 

 

志苔館跡の発掘調査で確認された遺構の写真

志苔館跡の発掘調査で確認された遺構

志苔館跡から出土した国産陶器
志苔館跡から出土した国産陶器

 

 

   

 

志苔館跡の史跡整備

 

発掘調査の結果に基づき,昭和62年度までに郭内については,創建期と想定される建物跡,井戸跡,柵跡,柱穴跡などの平面表示整備を行いました。また,郭外の空壕や小土塁についても表示・張芝等の整備を行い,史跡公園として保存するとともに広く利活用されています。

 

史跡志苔館跡の標柱と案内看板の写真

史跡志苔館跡の標柱と案内看板

  

 

志苔館跡ご利用上の注意

 

史跡志苔館跡は国民共有の財産です。ご利用にあたっては,以下の事項をはじめ,他の利用者の迷惑になるような行為を行わないようにしてください。 

史跡志苔館跡の斜面は大変急になっています。史跡の意義をご理解の上,ご利用にあたってはくれぐれも安全にご留意ください。小さなお子様をお連れの方や身体の不自由な方は,特にご注意願います。

また,史跡内で発生した事故等につきましては,当事者間で解決をしてください。 

 

・土塁などに登ったり芝生を傷めたりすること 

・自転車,バイク,自動車などを乗り入れること 

・ペットの放し飼いやフンを放置すること 

・火気を使用すること 

・ゴミを捨てること

・球技など他の利用者に危害を与える恐れのあること

 

 

史跡志苔館跡の平面図

史跡志苔館跡平面図

 

  

志苔館跡へのアクセス

 

・JR函館駅から 

 函館駅前停留所から函館バスで志海苔停留所下車(約35分)。停留所から徒歩約260m 

 タクシー等で国道278号線経由,約8.5km 

 ※史跡志苔館跡には駐車場がありません。

 

・函館空港から 

 函館空港停留所から函館バスで湯倉神社前停留所下車(約16分)・乗り換え,志海苔停留所下車(約8分)。停留所から徒歩約260m 

 タクシー等で団助道路トンネル経由,約2.1km 

 ※史跡志苔館跡には駐車場がありません。

 

  函館空港から志苔館跡までの徒歩ルート

    

  函館高専映像制作研究会様 制作 YouTube動画「函館空港から志苔館までの行き方」

 

 

北海道志海苔中世遺構出土銭

 

昭和43(1968)年7月,志苔館跡にほど近い道路の拡幅工事の際に,大甕3個にぎっしり詰められた大量の古銭が発見されました。3個の大甕と古銭を合わせた総重量は約1.6トン,出土銭の総数は93種38万枚を超えるもので,年代の上限の銭は前漢代の四銖半両(紀元前175年初鋳),下限の銭は明代初期の洪武通宝(1368年初鋳)と,約1,500年にわたる古銭で構成されています。古銭が入れられた大甕がいずれも14世紀後半頃に属するものであることから,これらの古銭は14世紀後半から末頃に埋設されたものと考えられます。埋設された理由としては,備蓄説や祭祀説がありますが,いずれも定説にはなっていません。

この出土銭は,中世社会において貨幣流通経済が定着しつつあるという時代背景の中で,日本海海運文化の様子を物語る数少ない貴重な歴史資料であることから,平成15(2003)年5月29日に国の重要文化財に指定されました。現在は市立函館博物館で常設展示されています。

 

国指定重要文化財「北海道志海苔中世遺構出土銭」の写真

国指定重要文化財「北海道志海苔中世遺構出土銭」

 

 

 続日本100名城の認定

 

平成29(2017)年4月6日,史跡志苔館跡が公益社団法人日本城郭協会から「続日本100名城」に認定されました。史跡内あずまやにスタンプを設置していますので,スタンプラリー参加の方はご利用ください。 

なお,ほかの参加者の方のために,スタンプの持ち帰りや破損などはなさいませんようお願いいたします。 

スタンプラリーの詳細については,公益社団法人日本城郭協会(外部リンク)にお問い合わせください。

 

(左下図)あずまや位置図 (右下写真)あずまやに設置されたスタンプボックス

 

続日本100名城スタンプ設置場所  あずまやに設置されたスタンプボックス
 


スタンプ印影

 

 

  

 
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お問い合わせ

教育委員会生涯学習部 文化財課
TEL:0138-21-3456