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平成30年度 総務常任委員会行政調査

公開日 2018年09月26日

更新日 2021年12月14日

総務常任委員会行政調査

平成30年7月4日水曜日から7月6日金曜日

 

7月5日 大牟田市調査

大牟田市視察の様子.jpg

<所見>

 函館市議会総務常任委員会は函館市内に2つの構成資産を有する「北海道・北東北の縄文遺跡群世界遺産登録」に向け、地元市民の理解や機運の醸成を図るための取り組みなどの方策について、平成27年7月8日に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された大牟田市を行政調査した。
 大牟田市はかつては有明海に面した寒村であったが、石炭資源を背景とした石炭化学工業都市として栄えた。昭和34年には最大人口208,887人いたが、「石炭から石油へ」とのエネルギー革命により、石炭化学工業は衰退し、平成9年3月に炭鉱の閉山とともに人口が減少し、平成30年6月現在、115,831人と約 半減している。しかし、石炭産業から発展した高い技術力と、九州・山口の主要都市へ約3時間で行けるという地理的特性をいかし、「やさしさとエネルギーあふれるまち・おおむた」をキャッチフレーズに、新たなまちづくりに取り組んでいる。

1 世界遺産「明治日本の産業革命遺産」について
 (1)登録までの経緯
 当初は鹿児島県単独の取り組みで、平成17年7月に「九州近代化産業遺産シンポジウム」が開催され、テーマを「製鉄、造船、石炭」として、各産業のつながりを研究することから始まった。平成18年には、九州地方知事会議において、鹿児島県より「九州近代化産業遺産群の保存・活用」が提案され、各県に共通する広範な課題について、共同して政策を作り上げ連携して実行していくことが確認され、その年の11月には文化庁へ世界文化遺産登録に向け提案書を提出したが、継続審議となった。
 翌年の平成19年に、世界文化遺産特別委員会から示された課題を踏まえ、6県11市で文化庁へ提案書を再提出し、平成20年に「九州・山口の近代化産業遺跡群」として世界遺産暫定一覧表入りが決定され、その後、専門家委員会の設置や構成資産選定のための調査などを経て平成25年4月に推薦書原案をとりまとめて協議会から国へ提出し、同年9月日本国政府として推薦を決定した。
 翌年の平成26年1月、日本国政府が推薦書を作成し、ユネスコ世界遺産委員会へ提出された。同年9月から10月にかけて、イコモスによる現地調査が実施され、平成27年7月、第39回世界遺産委員会で世界遺産登録が決定された。

 (2)構成資産の概要
 明治日本の産業革命遺産の対象とする年代は、1850年代~1910年(幕末~明治時代後半)とし、製鉄・製鋼、造船、石炭産業の重工業分野の産業遺産で構成し、その中には国内で初めての三池港のように当時から現在まで稼働し続けている施設である稼働資産が含まれている。また、構成資産は福岡県大牟田市を含む九州や山口など8県11市に点在している日本の近代化に貢献した遺産23資産で一つの世界遺産(シリアル・ノミネーション)となっている。
 このように、連続性のある資産(シリアルプロパティ)は、同一の歴史・文化群に属する関連した構成要素が、個々の部分ではそうではなくとも、全体として顕著な普遍的価値を有するものである。
 登録に向けて重視されるのは「ストーリー」と言われている。そのため、世界遺産登録に向け、「明治日本の産業革命遺産」を3つの発展段階※1という「ストーリー」を練り上げた。

※1 3つの発展段階:
 第1段階~試行錯誤の挑戦~(1850~1860年代前半)
 第2段階~西洋の科学技術導入~(明治時代~1890年)
 第3段階~産業基盤の確立~(1890~1910年)

2 世界遺産登録に向けた地域(大牟田市域)での取り組みについて
 (1)近代化産業遺産を活用したまちづくり協議会
 三池炭鉱は平成9年の閉山前から保全を念頭に調査が始められており、平成5年には福岡県教育委員会が三池炭鉱などの現状について報告書をまとめていた。大牟田市は、本市の発展の基礎であり日本の近代化を支えた近代化産業遺産として、三池炭鉱関連施設を石炭なき後の「まちづくり」の一つとして、その保存活用を進めてきた。
 平成24年9月に「大牟田市近代化産業遺産を活用したまちづくりプラン」を策定し、まちへの愛着と誇りが生まれ、まちづくりを醸成していく取り組みを進めていくこととした。そのため、行政だけでなく、市民、地域、関係団体、企業等が一体となって協働で推進していく必要があり、近代化産業遺産の保全・継承を推進する啓発事業や施設の維持活用に向けた各種事業の実施を目的に、平成25年7月に「近代化産業遺産を活用したまちづくり協議会」を設立した。
 協議会の主な活動は、世界文化遺産に登録された三池炭鉱関連施設について、より深く興味を持って理解してもらうため、小学生にも分かりやすいパンフレットを3万部作成している。大牟田市では、今年度、市内小学校の全4、5、6年生に配布し、学校での世界遺産学習に活用してもらうよう、教育委員会へ依頼した。また、大牟田市のすべての市立小・中・特別支援学校は、ユネスコスクール※2に加盟し、ESD教育(持続可能な開発のための教育)に取り組んでいる。その効果については、今後把握していくことにしている。
 三池炭鉱の「何」が世界の遺産として評価されたかを正しく理解することが必要であり、子どもだけでなく大人も「世界の宝が我がまちにある」という、大牟田への愛着と誇りを持つための啓発が重要であり、今後の課題となっている。

※2 ユネスコスクール:ユネスコ憲章に示されたユネスコの理想を実現するため、平和や国際的な連携を実践する学校であり、ユネスコが認定する学校。現在、世界181カ国で11,000校以上のユネスコスクールがあり、日本国内の加盟校数は1,034校。(平成29年10月現在)

 (2)子どもボランティアガイド
 校区内に宮原抗がある小学校で、ESD学習の一環として、世界遺産登録の機運を高めることを目的に小学校5年生から資料調べなどで準備し、6年生になってから宮原抗来訪者に対し、原則第3日曜日にガイドとしてのおもてなしを平成25年12月から実施している。
 平成30年4月に学校再編があり、2つの学校が統合されたが、子どもボランティアガイドは継続されており、子どもたちも地域を盛り上げていこうというモチベーションにつながっている。

 (3)スポーツゴミ拾いin 宮原抗
 世界遺産登録の機運を地域から盛り上げるために、拾ったゴミの数を競うなど楽しみながら美化活動を企画し実施した。以前はゴミの散乱もあったが、美化意識の向上により、ゴミの遺棄などが眼に見えて減少し、最近では「拾うゴミが無くなった」と言われるほどの効果が出ている。

 (4)その他の大牟田市独自の取り組み
 三池炭鉱に関する人々の記憶を次世代に伝えていくことを目的に、平成25年から「炭鉱とくらしの記憶 エピソード集」を作成し、平成30年3月に第3集が発行された。第3集では、未来を担う子どもたちが近代化産業遺産バス見学会での感想文を掲載している。市内に数多く残る近代産業遺産と併せて、人々の想いや出来事を後世に語り継ぎながら、近代化産業遺産を活用したまちづくりを進めている。

3 世界遺産登録の地域(大牟田市域)について
 (1) 登録による効果
 登録効果により、多くの来訪者があったが、登録初年度より熊本地震の影響や登録効果の落ち着きなどにより、来訪者は半減している。 (平成27年登録時は113千人、平成29年は53千人 ) しかし、何よりの効果は大牟田市への愛着と誇りにつながっているのが一番の効果である。

 (2)登録による新たな課題・問題点とその対応
 世界遺産登録により、人類共通の宝として適切な保全と維持管理が求められるが、登録された宮原抗は明治期の建物であり、耐震性がない。また、三池港は、現役の産業港として稼働中である。保全状況などについて、6年に1回、世界遺産委員会に報告する義務があるが、文化財・史跡ということから通常の施設・資産の保全管理よりもコストがかかり、経費の圧縮・削減が求められる一方で、「費用対効果」として経済効果を問われるなど、理解が得られない問題がある。

 (3)今後の取り組み
 平成29年度に「三池炭鉱跡の保存・公開・活用に関する計画」を策定し、平成30年度を初年度として、概ね平成47年度を目標最終年度とする18カ年計画で、発掘・測量、修復、各種整備を行うことにしている。

【最後に】
 大牟田市民にとって、三池炭鉱関連の近代化遺産は囚人労働や強制労働、炭塵爆発事故や戦後最大の労働争議と言われまちを二分した「三池争議」など、「負の遺産」と捉える市民もおり、世界遺産登録の話が出た当初は「市にそんなことにカネをかける必要があるのか」といった否定的な反応もあった。しかし、世界遺産に登録されると市民の意識も変化し「市民が大牟田に自信と誇りを持つきっかけになった」という。
 炭鉱がなくなって人口が減り、地域に元気がなくなろうとしている中で、世界遺産登録は自分たちの地域に愛着を持ち、新たにまちづくりするためのきっかけとなった。
 函館市にある2つの構成資産を含む縄文遺跡群世界遺産登録のエリアは北海道と青森県、秋田県、岩手県の3県の4道県、17の縄文遺跡群で広域に渡り、こうした点からも大いに参考になった。また、「縄文遺跡群の世界遺産登録に 向けた取り組み」を函館市の新たなまちづくりのきっかけとしたい。

 


7月6日 佐賀市調査

佐賀市視察の様子.jpg

<所見>

○世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」について
 九州・山口を中心に8県(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、山口県、岩手県、静岡県)11市(北九州市、大牟田市、中間市、佐賀市、長崎市、荒尾市、宇城市、鹿児島市、萩市、釜石市、伊豆の国市)23の資産で構成されている。
 これらは、製鉄・製鋼、造船、石炭産業において、急速な産業化を成し遂げたことを証言する遺産群であり23の構成資産全体で一つの世界遺産としての価値を有している。佐賀市『三重津海軍所跡』もその一つである。

○佐賀市・三重津海軍所跡について
 佐賀市諸富町、川副町にまたがり、九州最大の河川である筑後川から分かれて流れる早津江川の河川敷にある。幕末に佐賀藩が洋式船による海軍教育を行うとともに、艦船の根拠地として、又、修船・造船の機能を有した施設。幕末期における西洋の船舶技術の導入や軍事の展開を知るうえで重要である。

○世界遺産登録までの経緯について
 平成17年7月 「九州近代化産業遺産シンポジウム」開催
 平成18年11月 世界遺産暫定一覧表入りをめざし文化庁へ提案
 平成20年10月 「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会を設置
 平成21年8月 協議会加入
 平成25年8月 タイトルを「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に変更。国による推薦資産最終決定となる
 平成26年6月 「三重津海軍所跡史跡」が追加指定
 平成26年10月 イコモスの現地調査
 平成27年7月 佐賀市の三重津海軍所跡が世界文化遺産に登録

○世界遺産登録に向けた地域での取り組みについて
 三重津海軍所跡の保存・整備・活用には、遺跡解明のために調査の継続、価値を伝える方法の検討や人材の育成をはじめ、多くの課題があるとのこと。特に、日本で現存最古のドライドックなどは良質な状態を保つためには空気に触れないよう埋めた状態を維持しなければならない。又、河川敷における安全管理上の配慮が必要であることから遺構そのものを露出して展示することが難しく、今後その様子や価値をどのように伝えていくのかが注目されてきた。そこで、「見えない三重津が見えてくる」という計画をつくり、「見えない」遺跡の内容や価値を、幅広い手法を取り入れながら「見える化」を実践。

(1)プロモーションムービーの制作、公開
 プロモーション動画では、三重津海軍所跡の最大特徴である「見えない」という事実を逆手に取り、強調することで、他の構成資産と差別化を図った。
 製作費約100万円

(2)世界遺産登録推進CMの制作、放映
 佐賀市をPRするためにCMをコンペ方式で募集。3作品を制作「佐賀市から世界遺産を」は、そのうちの一つ。

(3)VR機器を活用した現地コンテンツ整備
 埋蔵文化財の弱点を解消するためにVR機器を使った体験型コンテンツを活用。
 みえつスコープはスマートフォンを使った双眼鏡型案内機器。
 オキュラスリフトは専用のゴーグルとヘッドフォンで360°VR映像を見渡せる。
 みえつドームシアターは平成28年度に追加整備されているなど。

(4)市民啓発ラッピングバスの運行
 世界遺産登録に向けた機運の醸成、知名度や関心の向上

(5)そのほかの佐賀市独自の取り組み
 佐賀インターナショナルバルーンフェスタにおけるブースの出展などで県内外から来られる観光客にひろくPRする目的。
 さが三重津祭では、現地への来訪を促進し理解の増進につなげるのが目的。
 南部観光バスは南部観光地を巡る観光バスを運行。

○世界遺産登録後の地域について、登録による新たな課題・問題とその対応
 世界遺産登録の国内推薦後、イコモスが現地調査に入る年の来館者数が激増。
 今まで3,700人台が19,000~最大23,000人となる。地元の人たちがガイドを引き受けることが多くなった。受け入れ態勢の確保が重要である。
 スコープの増設、土日の体制、臨時開館の実施、案内誘導職員の増員、警備員の配置、人材の育成など。

○まとめ
 北海道・北東北の縄文遺跡群で世界遺産をめざしている当市にとっても、地域の取り組み、行政の取り組み、市民の気運醸成のために何をなすべきなのかという点で、今回の調査はとても参考になった。
 北海道・北東北縄文遺跡群も4道県14自治体17遺跡で構成されている。今後、国内推薦を受けて、函館市の史跡大船遺跡、史跡垣ノ島遺跡や函館市縄文文化交流センターへの来訪者も増えるだろう。
 今後、イコモスの現地調査もスケジュールとして予定される。ますます世界遺産登録に向けての努力を積み重ねなければならない。
 今回、三重津海軍所跡は、遺跡が埋蔵されている状況で「見えないみえつが見えてくる」この発想が来訪者の想像力をかきたてた。縄文遺跡でもCM,プロモーションムービー制作、VR機器を活用も効果があると考える。函館市縄文文化交流センターもまた、市民や観光客に現地に足を運んでもらえるような企画、例えば『縄文まつり』など観光バスの運行や臨時バスの運行などで市民へアピールすることも必要。
 受け入れ態勢、人材育成も今から準備を進めるべきである。また、何よりも函館市民が縄文文化遺跡について理解をし、誇りを持ってまちづくりにつなげていけるような取り組みを早急にすすめるべきである。
 今回はまさに、良いタイミングでの調査活動だったと考える。

 
 
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