五稜郭の歴史 箱館戦争~現在

2016年7月25日

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市街地の箱館戦争ゆかりの地の位置図
市街地の箱館戦争ゆかりの地の位置図
函館山周辺の箱館戦争ゆかりの地の位置図
函館山周辺の箱館戦争ゆかりの地の位置図

 

 

 

箱館戦争

 明治元年(1868)8月,品川沖を脱走した榎本武揚(えのもとたけあき)が率いる旧幕府脱走軍艦隊が,同年10月20日に蝦夷地の鷲ノ木(わしのき)(現茅部郡森町。かやべぐんもりまち)へ到着し,戊辰戦争(ぼしんせんそう)の最後の戦いとなる箱館戦争が開始されました。蝦夷地へ上陸した旧幕府脱走軍は, 数手に分かれて五稜郭を目指し,10月26日には箱館府兵が青森口へ逃げて無人の五稜郭を占拠することになりました。この後に,松前や江差方面も相次いで旧幕府脱走軍が占拠することになり,12月15日には,榎本武揚を総裁とする蝦夷地仮政権が樹立されました。

 しかし,明治2年4月,乙部へ上陸した新政府軍の反撃が開始され,前年に最大の戦力だった開陽(かいよう)を失った脱走軍は, 次第に形勢不利となります。
 そして,5月11日には明治新政府軍が箱館総攻撃を行うことになりました。
 その結果, 脱走軍の最大の砦であった弁天岬台場がほとんど壊滅状態となり,その救援に向かった新撰組副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)が一本木関門(いっぽんぎかんもん)を入り,異国橋(いこくばし。現在の十字街電停付近)あたりで銃弾に撃たれて戦死することになりました。

 そして, 箱館港内で行われた軍艦どうしの戦いも,脱走軍艦蟠龍(ばんりゅう)が新政府軍艦朝陽(ちょうよう)を沈没させるなど,一時は優勢に見えましたが,結局のところ,脱走軍の旗艦回天(かいてん)も浮き砲台となりながらも敗れ,箱館港内は新政府軍が制圧することになりました。
 また,五稜郭の鎮守府(ちんじゅふ)として北東方向2kmに設置されていた東照宮(とうしょうぐう)を守備するために脱走軍が急造した四稜郭(しりょうかく)も, 僅か半日ほどで敗れ去り,脱走軍は五稜郭方面へと退却することとなりました。この時の五稜郭からは,土塁上の24ポンドカノン砲を箱館港や七重浜方面に向けて発射し,脱走軍の応援を行っていますが, ほとんどの砲弾は港まで届かず, その効果はほとんど無いまま,脱走軍の敗北は決定的なものとなりました。

 

明治2年に急造された四稜郭の写真
明治2年に急造された四稜郭

 

 そして,翌日の5月12日からは,新政府軍の軍艦甲鉄(こうてつ)など港内艦船からの砲撃が開始されます。五稜郭からの砲撃は全く港湾まで届かなかったのに比べ,軍艦甲鉄の大砲は70ポンド施条砲という約4km以上砲弾が届くような強力なものであったため,五稜郭内の奉行所庁舎の太鼓櫓(たいこやぐら)に正確に命中し,数人の死傷者が出たことが記されています。

 

5月11日の五稜郭土塁からの砲撃の写真
5月11日の五稜郭土塁からの砲撃
(函館市中央図書館蔵)

 

 その後, 5月15日に弁天岬台場が降伏し,5月16日に千代ケ岡(ちよがおか)の陣屋では中島三郎助父子などが最後の戦いを挑みますが,そのほとんどが戦死するなど壊滅の状態となり, この日をもって旧幕府脱走軍側の敗北が決することになりました。そして,5月18日には榎本武揚以下の脱走軍が降伏するとこ ろとなり,7か月に及んだ戦争が終結し, 五稜郭は新政府に明け渡されることになりました。

 以上,箱館戦争の詳細については下記の函館市史の記事をご覧ください。
     通説編第2巻第4編「箱館から近代都市函館へ」
     第1章 維新政権成立時の胎動 第2節 箱館戦争
 函館市史通説編第2巻第4編「箱館から近代都市函館へ」の目次へは,こちらから

箱館戦争後の五稜郭

 箱館戦争後の五稜郭は,明治政府兵部省(ひょうぶしょう)が管理することになり,その後は,役所として利用されることはありませんでした。明治4年(1871)開拓使本庁が札幌に移転されることになり,その庁舎を建設するための木材を必要とする理由によって, 奉行所庁舎や付属建物の大半が解体されました。
 明治6年(1873)から明治30年(1897)までは陸軍省の練兵場として利用され,大正2年(1913)には函館区へ無償で貸し与えられました。そして,翌年の大正3年(1914)からは市民の公園として利用できることとなりました。
 また,大正11年(1922)に国指定史跡となり,昭和4年(1929)に郭外の追加指定, 昭和27年(1952)には北海道唯一の国指定特別史跡となりました。

 なお,五稜郭内には,明治期の解体を免れた築造当時の唯一の建物として, 南西側に兵糧庫(ひょうろうこ)が1棟存在しています。この建物は土蔵造であって,奉行所時代および箱館戦争時代ともに食糧庫として使用されていたと考えられています。 大きさは60坪(19平方メートル), 建物幅12間(約21.8m), 奥行5間(約9.09m)で,出入口側に幅1間(約1.82m) の庇(ひさし)が付けられています。経年による損傷が著しかったため,昭和47~48年度(1972~1973)と平成13~14年度(2001~2002)にそれぞれ保存修理工事が行われました。

 

五稜郭内に築造当時から唯一残る兵糧庫の写真
五稜郭内に築造当時から唯一残る兵糧庫

 

 

五稜郭跡の復元整備

 五稜郭跡の保存整備としては、堀石垣の修理や橋の架け替えなどが行われましたが、郭内についてはほとんど未整備状態であったため、昭和58年(1983)から本格的な保存整備を目指すための文献史料等の基礎的調査が開始され、同時に郭内の奉行所跡等の試掘調査が実施されました。

 その後、昭和60年(1985)から遺構確認の発掘調査が開始され、平成元年度(1989)までに、奉行所庁舎および付属建物20棟分、板塀・柵・上下水道・門などの付設遺構が確認されることになりました。

 発掘調査で確認された建物跡の地下遺構と「五稜郭内庁舎平面図」や「亀田御役所地絵図」等の絵図面資料を照合したところ、柱の位置や部屋床下の位置などがほぼ一致する結果となりました。この結果を受けて、五稜郭跡内において箱館奉行所の復元を中心として史跡全体の当時の景観を再現し、利活用の促進を図ることが十分可能であると判断されました。

 箱館奉行所は、全体で約3,000平方メートルの規模があり、約4分の3が公的な役所部分で、約4分の1が奉行の役宅となる奥向に相当しています。奉行所の復元にあたっては、庁舎の主要な部分で古写真に写されている棟を中心に約1,000平方メートルを復元対象範囲としました。

 そして、平成18年度(2006)から箱館奉行所の復元整備工事を開始し、古写真や文献史料、発掘調査結果等のデータに忠実に十分な検証を行い、精度の高い復元となるように工事を進め,平成22年夏に奉行所建物の完成(約17億円),また,郭内の園路等を含めた全整備(約28億円)は,平成22年度中に完了しました。

 

遺構配置
 
五稜郭内庁舎平面図
 
復元対象範囲図
 
箱館奉行所復元立面図

 

 

箱館奉行所復元建物の工事概要

設計・監理 株式会社 文化財保存計画協会
施工業者 竹中工務店・加藤組土建・石井組・野辺工務店・明匠建工
特別史跡五稜郭跡内箱館奉行所庁舎復元工事共同企業体
工事期間 平成18年(2006)7月8日~平成22(2010)年6月30日
建物構造 木造、平屋建て(一部:太鼓櫓は5層)
建築面積 1,033.38平方メートル  延床面積: 979.40平方メートル
最高高さ [主屋根] 約12m  
[太鼓櫓]16.5m 軒の高さ: 4.89 m
基  礎 べた基礎(断熱材敷き込み、耐圧盤 厚250mm)
外  壁 下見板張(一部漆喰塗り)
塗  装 生渋(渋柿を絞り発酵させたもの) 塗り 
防湿・防腐 渋墨(柿渋に松煙等自然材料を混ぜたもの)
見え掛かり木部
土  壁 江差産土にワラすさを混入し、練り返しを行う(約1年)
葦・竹小舞掻きの上、荒壁塗りを行い、乾燥
産  地 土: 江差町、 葦: 滋賀県、 割竹・篠竹: 熊本県
使用木材:ヒバ、 マツ、 スギ、 ケヤキ等
屋  根 桟瓦葺き(越前瓦): 瓦枚数は約3万8千枚(104種類)
      [太鼓櫓は銅板葺き]、[庇屋根は杮葺き]

 

 

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