袋澗(フクロマ)

2021年4月22日

北海道・本州最短地付近からの眺め

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袋澗(フクロマ)とは ※旧戸井町史から

 汐首岬の沿岸に、長年の間に波に打たれて壊された袋澗がある。これは

汐首や瀬田来の網元が、枠網につめた鰮(イワシ)をここに入れ、しけに

よって沖揚げできずに、海へ棄てることを避けるために造ったものである。

 すなわち、鰮をつめた袋網を入れた澗ということで袋澗(フクロマ)と

名づけたものである。

 袋澗を最初に造った網元は、瀬田来の「小柳吉太郎」で、吉太郎が若い

頃に、後志(しりべし)地方の鰮漁場へ出稼ぎに行って、見て来たものを

まねて、明治四十二年(一九〇九)に造ったものである。小柳吉太郎が

造ってから、瀬田来の「石田玉蔵」が造り、大正五年(一九一六)

「吉崎吉松」、大正六年(一九一七)汐首の「境」、大正七年瀬田来の

「西崎吉太郎」、大正十二年(一九二三)瀬田来の「吉崎岩吉」などが

競って立派な袋澗を造ったのである。

 明治四十二年に、小柳吉太郎の造った袋澗は、数千円の費用を投じたと

いわれているので、汐首岬の沿岸の袋澗にかけられた費用は莫大な額で

あったことが想像される。

 潮流の激しいことで有名な汐首岬の突端にあのような袋澗を造るために

は、函館あるいは本州方面から一流の石工を雇入れ莫大な人数を動員した

ものであろう。

 各網元が袋澗を造った年を調べて見ると、何れも大々漁の年か、その翌

年である。

 巨万の金を投じて造ったこの袋澗も、僅か半世紀もたたないうちに波に

打ち砕かれ、鰮大漁時代の遺物として淋しくその残がいを止めているので

ある。

   

 

〇北海道のホームページ内でも紹介されています。   

 北海道文化資源データベース(外部リンク)

 

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