市史余話 29

箱館戦争シリーズ 箱館府廃止で上京した清水谷

清水谷公考(右)と箱館府の実務を担当していた堀真五郎

 箱館府知府事清水谷公考は、箱館戦争中、新政府軍の総指揮官である青森口総督(旧幕府脱走軍に追われて青森に避難していたので新政府軍の本営が青森に置かれていた)を兼務していましたが、五稜郭開城後の明治2年6月12日に兼務を解かれて知府事に専念することになり、戦後処理に忙しい毎日を送っていました。

 しかし、中央政府では、岩倉具視の同年2月28日の「去年、諮問して蝦夷地の開拓の事業に着手したが実効は上がっていない。幸い箱館を占拠した旧幕府脱走軍の平定も間近なので、本格的に蝦夷地開拓に当たるため人材を選んで専任させれば、数十年もたたないうちに富裕の土地となるので、その後、府か県を設置すべきである」との意見を受けて7月8日の官制改革で開拓使を設置、7月24日、箱館府を廃止し、清水谷知府事を、同日付けで開拓次官に任命していました。

 このことは、箱館府には連絡のないまま実施されたため、だれも知らず、8月に入って情報がもたらされ、初めて蝦夷地の統括は開拓使が行うことを知りました。

 このため、清水谷は箱館赴任以来、彼のそばで実務を担当し、箱館府御用係となっていた堀真五郎とともに急きょ上京、箱館府の置かれてきた状況と現況を政府首脳に説明しました。さらに、開拓の実効を上げられなかったことを陳謝するとともに、蝦夷地開拓の情熱は少しも失われていないことを明記し、これからと言うときに更迭されるに等しい扱いを受けた無念さでいっばいの辞表を作成しました。

 この時の辞表の控えと思われるものは東京大学史料編纂(さん)所にその写しが残されています。この写しは、前半部分のみの断片史料で、これと同文のものが実際に提出されたかどうかは不明です。

 しかし、開拓使出張所が箱館に開設されて間もない10月7日付けの開拓使出張所外国掛の日記に、清水谷と、2人の上京後箱館府の事実上の責任者となった長谷部卓爾の辞職を各国の領事に布告したことが記録されています。

 以後、最初で最後の箱館府知府事清水谷公考は、北海道との関連はもとより歴史的に特筆される事跡を残さないまま、明治15年病気のため37歳の生涯を終えています。

「市政はこだて」No.554 1985.11 紺野哲也

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