市史余話 28

函館の歯科医 第1号(?)となった大月亀太郎

歯医者さんの広告を掲載した明治15年の函館新聞

 明治15年7月5日付けの函館新聞に、歯医者さんの移転広告が掲載されました。入れ歯師というのは以前にありましたが、「歯科医」という肩書きでは、函館の新聞に載った最初のものです。

 この歯科という言葉が使われるようになったのは、明治12年内務省から達せられた医術試験規則の中に使われて以来のことのようです。では、それ以前はといいますと、初め口歯科、後に口中科と呼ばれていました。治療は内服薬のほかにうがい薬や塗り薬、はり療法などが用いられ、入れ歯抜歯師、入れ歯細工師、口中治療者などと呼ばれる人々によって行われていました。

 このような従来の治療法をやめ西洋医術を極力取り入れようとした明治政府は、歯科医に限らず遅れていた従来の医療制度の改正に、まず着手したのです。

 そこで登場したのが同9年の医師開業試験制度です。この制度は、同12年に改正されて内務省のもとに全国的に統一されることになりましたが、この時に試験科目の中に歯科が初めて独立して加わったのです。以来何度かの改正の後、同39年に医師法と同時に公布された歯科医師法によって、歯科医師の身分と業務は確立されました。

 さて、明治12年に試験制度が達せられた翌13年、開拓使函館支庁は従来からの開業医に対し、管内限りの仮免状を交付する旨を達しました。すぐに免許医を得ることが不可能な地方では、このような仮免許制度が認められていたのです。

 この時の交付願いを綴った「明治13年医術仮免状交付願留」によると、函館関係だけでも50人近い人たちが交付願いを出しています。

 その中でただ一人、口中科専門という履歴書を添えて交付願いを出しているのが、大月亀太郎なのです。その履歴書によると彼は、弘化2年(1845)に生まれ、東京で口中科を研究後、栃木県で開業、明治9年に函館に渡り、地蔵町(元末広町)で開業したということです。

 同15年の「函館県衛生年報」でも、口中科の地方免許は函館の1人のみとなっていることなどからみても、恐らくこの大月亀太郎が、仮免許とはいえ、この試験制度後の函館での歯科医の第一号と言うことができるのではないかと思われます。

「市政はこだて」No.553 1985.10 辻喜久子

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