園田 実徳  (そのだ さねのり)  1848年〜1917年
 北海道初の電車を函館・東川町−湯の川間に走らせ、函館船渠、北海道銀行を創立させるなど函館を中心に北海道の経済界に貢献した薩摩の人。

 嘉永元年12月20日、鹿児島下荒田町(鹿児島市)で薩摩藩士の父園田彦右衛門と母シンの長男として生まれる。慶応3年、藩主島津忠義に従い京都にのぼる。明治元年、鳥羽・伏見の戦いに、黒田監軍の小銃1番隊員として加わり、5年近衛兵軍曹となる。同年、北海道開拓使出仕を命じられ、7年佐賀の乱で、大久保利通の密使として活躍、10年西南の役に鎮台兵陸軍大尉心得として出動する。道内の交通不便な地方への新航路開拓を目ざし、15年に当時、独占企業だった郵便汽船三菱会社に対抗して地元資本家らが創立した北海道運輸会社に参画し、函館支店長となる。また、冬期間航海が行われない根室−花咲両港を自ら風雪の中で調査し、函館−根室間の航路を開いた。その後、共同運輸会社と日本郵船会社の函館支店長を勤め、本道海運界で活躍する。
 明治36年、畜産改善の必要を感じ、北海道庁より桔梗牧場を貸し下され、園田牧場と命名し牧畜業を始める。牧畜養鶏の傍ら植樹も行った。22年、北海道炭砿鉄道会社の創立発起人となり、13年間にわたって経営に参画し、早くから函館−小樽間の鉄道開通(函館−小樽間の鉄道が開通したのは明治37年10月15日)に尽力する。翌年、平田文右衛門、阿部興人、遠藤秀行らと北海道セメント会社の創立発起人となり、取締役に就任する。29年、函館水電の前身となる函館電燈所を開業する。同年、函館船渠会社の創立に参画し社長となる。39年、漁業経営のため、函館区大町に園田商会を開業する。
 大正2年6月、北海道ではじめての電車を函館区東川町−湯の川町間に走らせる。翌年の4月27日、函館郡部衆議員補欠選挙に立候補して当選する。
 大正4年7月28日、自らが創立させた(株)北海道銀行取締役の任期満了により辞任する。その2年後の大正6年2月18日、函館を中心とした北海道の経済界に多大なる貢献をした園田実徳は、病にて東京で死去した。享年70歳であった。

本文/「ステップアップ」vol.82(1996.1)より
(写真・資料/「北海道開拓功労者関係資料集録」、「函館市功労者小傳」、「北海道歴史人物事典」北海道新聞社編)