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北海道写真発祥之地
場所 豊川町グリーンベルト 碑文 (表) 解説 函館における写真の歴史は、安政元(1854)年のペリー一行の来航にはじまり、随行していた写真師ブラウンが写した写真が市立函館図書館に残されている。また、ペリー艦隊から少しおくれて入港した、ロシア軍艦ディアナ号に乗船していたモジャイスキーも市中で写真を撮影しており、日本では横浜・長崎と並び、はやくから開港地として写真文化に接することになった。木津幸吉は、安政末年に越後新発田から足袋職人として渡道し、箱館で仕立屋を営んでいたが、ロシア領事ゴシケーヴィチ(安政5(1858)年着任)からの依頼で、函館ではじめて洋服の仕立に成功し、店もかなり繁盛していた。写真との関わりは、故郷への墓参に向かう船中で、たまたま写真機を目にし、入手したことにはじまり、その後ゴシケーヴィチや領事館付きの医師ゼレンスキーから現像や焼付けの技術を学んで、新地新町(現船見町)に写真場を開いた。 なお碑文は、開業年を「元治元(1864)年」としているが、確証はない。いずれにしても、文久2(1862)年、日本ではじめての写真場を開いた長崎の上野彦馬や横浜の下岡蓮杖から遅れること、わずか数年であった。 函館では木津のほか、ゼレンスキーに治療を受けた田本研造、下岡蓮杖やゴシケーヴィチから手ほどきを受けた横山松三郎も、早くから写真術を習得して活躍していたが、明治2(1869)年、木津孝吉が東京へ引き上げる際、田本研造がその道具を譲り受け、会所町で開業している。 この碑は、昭和39(1964)年に、社団法人日本写真文化協会北海道連合会が、「元治元(1864)年」を起点として100年を記念して建てたもので、9月19日に除幕式が行われた。 参考文献 「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)、「函館市史資料集」第46集(函館市史編纂委員会)、『函館市史』通説編第1巻(函館市 1980年)、「函館写真史考(上)」(桑嶋洋一)『地域史研究はこだて』第17号(函館市 1993年)所収
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