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亀井勝一郎文学碑
1969(昭和44)年10月14日
場所 青柳町
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碑文
(表)
人生
邂逅し
開眼し
瞑目す
亀井勝一郎
解説
亀井勝一郎(1907〜1966)は明治40(1907)年2月6日、函館元町に喜一郎の長男として生まれた。喜一郎は当時、函館貯蓄銀行支配人であった。弥生小学校、函館中学校、山形高等学校を経て、東京帝国大学文学部に学び、評論家、思想家として活躍した。
大学入学直後に「新人会」の会員となり、共産主義に傾倒して政治活動にも従事、昭和3年には大学を中退する。同年、治安維持法違反で検挙された。獄中生活では文学に親しみ、保釈の後、日本プロレタリア作家同盟に参加、昭和7年にはデビュー作「創作活動に於ける当面の諸問題」を発表した。
勝一郎は、著作活動を行うなかで古美術や仏教への関心を深めて、昭和12年の「人間教育」、昭和18年の「大和古寺風物誌」等は、不朽の名著として、ながく人々に愛されている。晩年の大作「日本精神史研究」は亀井文学の集大成として高く評価されたが、昭和41(1966)年11月14日、病により永眠、未完に終わった。
函館にはあまり帰らなかったが、終生、函館弁を使い、故郷の味を好んだという。その思想の根底には、函館の風土と人心が影響を与えていた。
この碑は、有志によって建てられたもので、自筆による寸言「人生邂逅し開眼し暝目す」が刻まれている。石は日高産の名石。元町には、武者小路実篤筆による「亀井勝一郎生誕之地」がある。
関連情報→「はこだて人物誌」亀井勝一郎
参考文献
「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)、「北海道文学大事典」(北海道新聞社 1985年)
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管理:函館市中央図書館 更新 2008.4.1
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