碧血碑

1875(明治8)年5月、東京の碧血会建立

場所 谷地頭町(函館山中腹、函館八幡宮付近)
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碑文

(表)
碧血碑

(台座裏)
明治辰己実有此事
立石山上以表厥志
 明治八年五月

解説

 鳥羽伏見の戦いからはじまった戊辰戦争は、函館が最後の舞台となり、1869(明治2)年5月、五稜郭の開城でその幕を閉じた。この戦いによる官軍の戦死者は靖国神社をはじめ各地の招魂社(護国神社)へ手厚くまつられているが、旧幕府脱走軍の陣没者は賊軍の汚名を受けて弔う人もいなかった。
 この碑は1875(明治8)年の7回忌に、箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助をはじめ、北関東から東北各地で戦死した旧幕府脱走軍の霊を弔うために建立されたもので、伊豆産の石を使って東京霊岸島で造られ、海路函館へ運ばれた。四角い石の祠の上に「碧血碑」と刻まれた碑が建てられている。題字は箱館戦争当時、陸軍奉行だった大鳥圭介の書といわれているが定かではない。 「碧血」とは「義に殉じて流した武士の血は3年経つと碧に変る」という中国の故事による。さらに、台座裏側には建立の由来を記した次のような碑文(上記 碑文(台座裏)参照)が刻まれている。
  明治辰己(しんし)実に此の事あり
  石を山上に立て以てその志を表す
 函館にも、函館碧血会ができ、柳川熊吉や旧会津藩の人々が中心になって、毎年慰霊祭を行っていた。昔は毎年定まった日に催されていなかったが、近年は毎年6月25日(千代ヶ岡の決戦の日で、千代ヶ岡陣屋の守将中島三郎助父子らが討死した旧暦の5月16日にあたる)には碑前祭が行われている。

参考文献

「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)、「函館市史資料集」第26集・第27集・第46集(函館市史編纂委員会)

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管理:函館市中央図書館   更新 2008.4.1