トーマス・ライト・ブラキストンの碑

1960(昭和35)年6月、函館青年会議所建立

場所  函館山(御殿山)山頂
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碑文

(裏)
 ブラキストンラインとは、動物学上の津軽海峡の呼稱であり、この海峡を境にして動物の分布は南北で異なることを発見した英国人T.W.ブラキストン(1832〜1891)の名によるものである。ブラキストンは函館開港直後の1861年より約23年間この地に在留し、貿易を営み、傍ら鳥類の採集研究に努めた。
 この世界的業績は、津軽海峡と共に永遠に残るであろう。
     1960年6月建立
            函館青年会議所
            函館J.C創立10周年
            日本JC第9回北海道地区員大会 記念

解説

 トーマス・ライト・ブラキストンは、1832年12月27日にイギリスのハンプシャー州リミントンで誕生、1847年には王立陸軍士官学校へ入学、卒業後は砲兵少尉としてイギリス本国やカナダなどに勤務し、クリミア戦争にも従事した。この頃にも余暇には鳥や植物を採取して標本をつくり研究を続けていた。
 その後一時軍籍を離れ、1857年から探検隊の一員としてカナダで活動するが、翌1859年には、本国に帰り軍隊に復帰している。1860年大尉に昇進、中国へ派遣されて、揚子江探検などに従事した後、再度本国へ帰還、途中函館(1861年・文久1年)にも立ち寄った。
 イギリスで再び軍籍から離れてアジアでの貿易、製材事業を計画していた西太平洋会社と雇用契約を結び、日本での事業をおこすためにシベリアを横断して、1863(文久3)年、再び函館に上陸、海運・貿易業や製材業に従事した。なお、この時、ブラキストンが設立した製材所は、日本ではじめての蒸気機関による機械製材所であった。1867(明治10)年には、ブラキストン・マル商会を設立して西太平洋会社の代理人となり、事業を継続しながら鳥類を採取・研究、気象観測なども行い、福士成豊などに多大な影響を与えている。
 1879(明治12)年、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を函館仮博物場に寄贈した。この標本は、現在北海道大学農学部博物館に所蔵されている。
 1883(明治16)年、本州と北海道の動物に著しい違いがあることをアジア協会報に発表して注目され、当時東京大学教授として来日していた地震学者ジョン・ミルンの提案で津軽海峡がブラキストンラインと呼ばれるようになった。同年、事業を整理して函館を離れ、後にアメリカ合衆国に移り住んだ。1891年カリフォルニア州サンディエゴを旅行中、病没している。
 この碑は、1965(昭和35)年、函館青年会議所がブラキストン・ラインを記念する ために建立した。本郷新の手によるもので、正面は、上部にブラキストンのブロンズ像がはめ込まれた黒御影石、裏面は白御影石で、上記の碑文が刻まれたブロンズ版がはめ込まれている。

関連情報→「はこだて人物誌」トーマス・ライト・ブラキストン

参考文献

「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年) 、「函館市史資料集」第46集(函館市史編纂委員会)、『蝦夷地の中の日本』(T・W・ブラキストン著 近藤唯一訳  八木書店 1979年)

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管理:函館市中央図書館   更新 2008.4.1