蝦夷か女か開拓次官の清水谷

徳川幕府が政権を奉還して明治維新の幕が引かれるや、元年二月九日に明治天皇が太政官に親臨し、三職を召し蝦夷地開拓の事を御下問になり、又二十五日には議事所に於て蝦夷地開拓の事を列座の三職微士に御下問になった。兎に角明治新政府の初頭に於て、我が北海道が聖慮に上ったと云う事は恐懼の次第である、随って道氏としても国民としても、忘るべかざるは北海道の開拓である、然しそれは拓殖計画にかくるる利権や擁護の意味でない事は勿論である。此重大任務を負うて函館に赴任した函館裁判所副総督清水谷公考は公卿の一人で拝命したのは四月十二日着任したのは同四月、箱館奉行杉浦誠から金穀、図書、器械を領収して五稜郭に納まったのは五月一日、夫から側近のものが妾を薦めたりしたとか云うので市中の取沙汰が喧しかったが十月廿日寝耳に水と云う様な榎本釜次郎の率ゆる脱走軍が鷲木に上陸し上を下への大騒動となり清水谷公考卿は廿五日に青森に向って背進したのである。後函館を快復してから箱館府知事として再任したが開拓使が置かれてから開拓使次官となり間もなく罷めていった、若くて美男で女好きであった点は開拓の任に耐へえたかどうか余の事は知らない。

 
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