蝦夷か島にも来る乙二 風流三昧の斧柯社

松窓乙二は文化文政時代に於ける俳人として東北に並ぶものなき功者であった。
 奥州は白石亘理の千住院の修験者で、俳詣を白居に学んだ。晩年津軽の海を渡って箱館に杖を駐めて庵を高龍寺の傍らに結び斧柯社と号したと云うことである、当時(文化七年秋)高龍寺は弁天町にあった、丁度姿見坂停留所から鍛冶町に至る一劃が即ち其境内で岩船呉服店の西隣が正門に当るそうである、斯くて箱館に居る事十余歳、文政二年病を得て仝四年の師走に三厩に渡り故郷に帰ったと云うことである。門人には布席、草、有水、雨明、不曲、楳窓、一具、多代女、禾月女、乙艮等があり今も此松窓の跡を偲ぶべく斧柯社を起して函館の俳人諸彦は時々俳筵を開いて居る。著書には乙二七部集と云う外に乙二句集松窓句集等がある。写真は乙二の筆になるものにて函館図書館の蔵品なり。

 
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