日本に於ける希臘教の先達
我が邦にイエス、キリストの教が流れ込んだのは余程昔の事である、然しそれは羅馬教であって、同じ旧教でも希臘教は随分遅れて伝来した。
安政五年、箱館最初の駐剳露国領事であるゴスケウヰッチが着任した時、之に随従して来たイワン、マホフ師は領事館附司祭として希臘教を奉持して来た、然し滞在僅かに一年有余に過ぎなかった為め、其事業としては只「ろしやのイロハ」と云う小冊子を編纂した丈けで何等伝道の実績を挙げる事が出来なんだ。
其後西伯利亜を横断して文久元年に箱館に来たニコライ大主教は初めて我が邦の人々に希臘教の種を植付けて、函館を初め仙台、東京と続々会堂を建立するやら学校を開くやら、神の教を弘めながら日露の国交にも貢献する事が多大であった。春風秋雨五拾余歳を我が邦にあって明治四十五年二月十六日白玉楼中の人となった、今頃は神の国に居る事か其辺は信者ならでは知らぬ事ながら、兎に角函館に西方文化を移植した一人として其功労は没すベからざるものである。
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