悲しや口惜しや百十三銀行
北海道最初の本店銀行として兎にも角にも満五十年を無事に経営して来た函館唯一の本店銀行が忽然として行衛不明となった。
回顧するまでもなく、明治十二年の一月六日村田駒吉(今東京に遺族あり)泉藤兵衛(泉泰三市議の祖父)福島屋(杉浦嘉七)大津屋(田中正右衛門)の人々が相談して創立運動を起した、処が開拓使の大書記官であった柳田友郷と云うのが反対して仲々行悩んだが、発起人連は当時少壮気鋭の人々であった為め、トウトウ十五万円の資本で開業する事となった、之も最初は十万円の積りであったが、急に十五万円となり、其年の暮には二十万円とすると云う素晴らしい元気であった。初年度から年一割の配当で、頭取が福島屋、支配人が大津屋と云うので其頃銀行事務見習として大津屋が東京で実習して来たなど、殆んと大津屋一人で段取を付けたものである。場所は最初会所町であったが後末広町十四番地に移り、後東浜町の共同運輸会社の跡に転じ資本金も十万台から百万台と発展して参拾余年間も田中氏が支配人として勤めて居ったが、同氏退いて後は如何なる内紛があったか、本年三月三十一日限り忽然とし行衛不明となって了った。今は此五円紙幣に依って僅かに昔の面影を偲ぶのみである、これは田中正右衛門氏より函館図書館に寄贈されたものなり。
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