大黒町の大黒天

今の大黒町と云うのは昔の大黒町と神明町とが合併されたものである、当時の大黒町は今の函館劇場から弥生坂下までであった、之れを明治十四年の七月に町名や区域の分合で今の様になったのである。
 そこで此町名と云うものの起原を調べて見ると昔し若狭屋宗太郎と云う人の祖先が豊漁を祈願する為めに大黒天を勧請して常盤坂の近傍に奉祀した事に起因して居ると云う事が蝦夷実地検考録と云う本に出て居る、之は嘉永年間の調査であるが、此町名は古く寛永頃の文書にも出て居る、そして昔は大黒町の片側が直ぐ海岸で其処に島野市郎次の先代が造船場(船作事場)を設けてあったと云う事もある。それは兎も角として問題の大黒天は高さ約一尺位で今は実行寺の台所に棚番として色黒々として控えて居る、大黒町町民諸君は昔裏町と云った頃甲子祭を盛んにやった事から見ても此大黒天は決してお粗末にはなるまいと思うが如何にや。

 
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