俳人乙二と斧柯社

乙二は山伏で寺は奥州白石亘理町の千住院である。俳諧を白居に学んで当時東北に鳴響いたものである。晩年箱館に渡って庵を高龍寺の辺に結んだ。之れが斧柯社の濫觴である。高龍寺は其頃弁天町に在って山門が今の久〆一の西隣と云う事だ。
乙二の編んだ斧の柯集に楳園平角という人が文化八年として序を書て居る。其中に「去年の秋松窓と書いたる大旗を吹なびかせ大入道太呂をぐして松前筥館におしわたり」云々とあれば乙二の渡来せるは文化七年の秋と云う事が出来る。其後文政二年に病を得て同四年の師走に三廐に渡って故郷に帰られた。兎に角此の箱館に十余年の歳月を送った事は事実だ。文政の六年七月九日に六十九歳で他界したのであるが門人には布席、草、有水、雨明、不曲、楳窓、一具、多代女、禾月女、乙良等がある今も尚お函館には松窓翁の跡を偲ぶべき斧柯社が松田撫松氏に依りて伝えられて居る。遺著には乙二句集、松窓句集、乙二七部集などがある。
 写真は二幅とも函館図書館所蔵。

 
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