| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第12章 医療機関の設置と衛生 新体制下の病院 |
新体制下の病院 P1369−P1371
病院の規則も、2年11月に改められた。官員と従僕・貧民の治療は官費で賄われ、その他は冥加金として1日1分を納めることとされた。5年には函館支庁病院細則が決められた。これによると、薬価・賄料については、商工業者は自費で、移農民と窮民とアイヌは官費で賄われることになった。また外国人入院者は上等が1日1円、中等が70銭、下等が50銭とされ、日本人は一律1日10銭と白米5合とされた。「外国人」の規定があるのは、いかにも函館らしい特徴である。また医師に対しての規制として、官医は他に個人的に治療を行うことが禁止され、診察を請う者には必ず病院を通して薬剤を出すことが決められた。翌6年3月に病院規則が改正され、入院患者規則、外来患者規則、救助患者規則が定められた。このうち救助患者規則は、公務上の傷害はその主宰の官庁が費用を負担し(1日5人まで)、市中の窮民は民事係に申し出ると、事情を調査の上で、入院施薬が認められた。さらに10年にも諸規則が改正された。この時には窮民に対して函館病院で、薬価半額券と施療券が発行されることになった。これは従来窮民への施薬の規則がなかったため、治療の不十分さが原因で死亡する者がいては不憫である、という理由で定められたのである。これでもわかる通り、函館病院の役割の1つとして、貧窮民への施療があった。後述するように、11年に公立第一(後に豊川と改称)病院が建てられたがここでも、薬価半減券及び施療券が発行された。15年に区内でこの制度を適用された人数は201人で、要した金額は936円81銭1厘とあるが(『函館県衛生年報』)、この年の函館・豊川両病院の患者総数に占める割合でいえば、およそ2パーセントでしかない(表12−1参照)。
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