通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ


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第10章 学校教育の発生と展開
第1節 近代学校教育のはじまり
1 近代教育のはじまりと函館学校

郷塾(郷学校)

開拓使立函館学校

変則中学校

ロシア語科の新設

サルトフの採用

ロシア語学校

富岡学校・松蔭学校への改称

富岡学校予科

元町学校

富岡学校予科併設   P1200−P1201

 校名改称の際、函館支庁は、生徒の8〜9割りが官員および士族の子弟で平民の子弟がほとんどいない富岡学校(変則中学校)について、「勧学ノ素旨」に背くので平民の子弟がより多く入学できるように、(1)修業年限1年14四歳以下の学齢児童を対象とした「和算・和習字」の予科を開設する、(2)入学の際の礼服着用を改正することの2点を至急稟議して欲しいと書き送った(「開公」5563)。(2)については、平民子弟は礼服を持っている者が少なくこれも平民の入学を妨げているというのである。こうして7年6月14日「今般富岡学校中予科教則相設ケ六月二十八日ヨリ別記ノ通教授候条、士民ノ差別ナク有志ノ者ハ入学可願出」という予科の開設と、「入学ノ節礼服着用ノ旨相達置候処、右所持無之分ハ平服ニテ不苦」という平服着用認可の2件が布達された(同前)。
 その年12月師範学校卒業の城谷成器を迎え小学校開校へ着手した(第1節2参照)函館支庁は、富岡学校に小学科を開設することになり、翌8年1月、富岡学校の予科を残し変則中学科の英語・数学の2科を校舎の広い松蔭学校へ移した(明治7・8年「函館支庁日誌」道文蔵、「開公」5821)。しかしその後、会所町の官舎を利用して小学校(会所学校)を開校することとなり、富岡学校予科生もその小学校へ移され、8年3月20日、富岡学校は廃校となった(明治8年「函館支庁日誌」道文蔵)。廃校時の教員とその異動は表10−3のとおりである。
表10−3 富岡学校廃校時の教員の動き
氏名
異動先
12等出仕
15等出仕
等外1等出仕
等外2等出仕
等外3等出仕
権少主典
13等出仕
等外3等出仕
城谷成器
中里方精
坂本重勝
青田元利
高橋済一
菊地卓平
鈴木重直
和田音次郎
会所学校
会所学校
会所学校
会所学校
会所学校
松蔭学校(英)
松蔭学校(数)
松蔭学校(数)
明治8年「函館支庁日誌」より作成
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