| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第9章 産業基盤の整備と漁業基地の確立 交換条約と出漁 |
交換条約と出漁 P1144−P1145 交換条約の実施により、漁民はすべて出漁を断念して漁場を引払ったが、明治8年9月の「開拓使漁場出稼人名調書」(開公5913)によると、9名の出稼漁民の住所は渡島国福山が2名、函館が3名、能登(石川県)が2名、東京および南部(岩手県)がそれぞれ1名であった。露領となってから、一度は出漁を断念した漁民も伊達・栖原を除いて熱心に出漁願を諸官庁へ提出し、ついに明治9年3月の太政官布告第25号「樺太島ニテ従来漁業営ミ居リ候者ハ旧漁場ニ於テ引続キ営業苦シカラズ」により出漁が可能となった。さきの開拓使人名調書にもれていた者も含めて11名の漁民が旧漁場に出漁した。函館が本籍の者、木田長右衛門、相原寅之助、宇野忠次郎、斉藤文右衛門、山口徳蔵の5名、函館に寄留の者、島崎秀吉、橋本六三郎、佐藤和右衛門、長野長十郎、近木吾一、永野弥平の6名である。これら漁民の系譜は、勝山藩・若狭藩関係者、加納藩関係者、松川弁之助一族、北蝦夷地出稼人・樺太御用達人にわけられる。出漁者は開拓使函館支庁外事課で航海公証を請い受け、函館税関の積荷検査をへて開港場である函館港を出帆するが、税関の出入港手数料および輸出入物品税はすべて免除されていた。函館港を出帆した船舶は交換条約により日本領事館が設置されているアニワ湾内のコルサコフ港に入港して、日本領事館に立寄り諸届出手続きをした上で漁場許可状の付与を受け、露領となった漁場で明治9年より明治36年までの28年間、漁業を営んだのである(表9−53樺太島出稼漁業一覧表参照)。 ロシアが日本漁民の出漁にどのように対応したかを、課税および漁場規制方法の態様により、9年から15年までの第1期、16年から30年までの第2期、31年から36年までの第3期にわけてみることにする。
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