| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
||||||||
|
第6章 内外貿易港としての成長と展開 運動の再開と函館商業会議所の設立認可 |
運動の再開と函館商業会議所の設立認可 P809−P811 この商業会議所条例の改正によって、再び函館や小樽では会議所設立の気運が高まってきた。函館の場合、28年6月頃より函館商工会有志が中心となって会議所設立の協議会を開いていたが、8月6日の有志会には商工会の小川幸兵衛会頭、林宇三郎副会頭など役員を中心に22名が出席した。そして、会議所設立の方向で意見が一致し、平出喜三郎、遠藤吉平、小川幸兵衛、林宇三郎、小川為次郎の5名が創立委員に選出され、一切の創立事務を委託することとなった。8月12日には発起人総会が開催され、設立認可申請書、初回会員選挙規則、設立費予算など設立に関する諸事項を決定の上、同16日、設立認可申請書に付属書類を付して函館区役所、北海道庁を経由して農商務省に申請した(函館商業会議所『第壱回事務報告』)。ちなみに申請書に連署した発起人は表6−43のとおりである。
明治29年1月8日、函館区長は町会所へ当選した会員35名を招集して最初の総会を開催した。まず役員の選挙を行ない、会頭には平出喜三郎が、副会頭には小川幸兵衛が当選した。また、定款その他諸規則調査委員には遠藤吉平、伊藤一隆、田中正右衛門、相馬理三郎、和田惟一の5名が選出された。しかし、会議所活動の根幹となる定款の農商務省への申請が大幅に遅延し、5月1日付でようやく同省の認可を得るという事態が生じた。このため、4月に博多で開催された第5回商業会議所連合会には、博多商業会議所からの参加要請にもかかわらず、それを見合せている。 さて、同年5月17日、函館商業会議所は臨時総会を開き、定款に則って再度正、副会頭の選挙を実施し、再び平出が会頭に、小川が副会頭に選出され、ここに函館商業会議所はその創立事務をすべて完了した。そして、北海道における最初の商業会議所として、函館商工会の伝統を継承しながら新たな活動の第一歩を踏み出してゆくのである。ちなみに、小樽商業会議所の設立認可がなされたのは、函館商業会議所に後れること3か月の明治28年12月であり、当時の小樽区内における会員の有資格者は200余名、また会議所議員は25名であった(『小樽区史』、『小樽市史』第2巻)。札幌商業会議所の設立認可はさらに遅れ、明治39年10月のことである。 |
|||||||
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第2巻第4編目次 | 前へ | 次へ | ||||||||