| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第6章 内外貿易港としての成長と展開 函館商工会の諸活動 |
函館商工会の諸活動 P803−P804 明治22年から同29年までの函館商工会の存続期間中における活動の実績に関しては、『函館商工会沿革誌』に次のような数字が報告されている。(1)、総会及び諮問会の開催回数 75回(議題86件) (1)、北海道庁、函館区役所等の諸官庁からの諮問に対する答申や建議、請願 諸官庁への答申 P804−P805 まず最初に(1)に関わるものとしては、米価騰貴の原因に関する北海道庁の諮問に対する回答(明治23年6月)、日清貿易の習慣等に関する函館区役所の諮問に対する回答(同年7月)、日本郵船会社が明治25年より神戸・函館間の定期航路を小樽まで延長する件での函館区長の諮問に対する回答(明治24年12月、この点は、第7章第4節を参照のこと)、新任の財部北海道庁書記官并函館区長に対する函館地方の商況陳述(明治26年5月)、北海道庁農商課員からの同業組合問題に関わる諮問に対する回答(明治27年4月)、日本銀行函館支店開設の申請(同年6月)、などがある。商工会の調査事業 P805−P806 次に、(2)に関わるものとしては、まず明治22年8月に、二木函館区長より農商務省通信事務の内、函館港輸出入貨物及び船舶出入統計調査事務を委託され、毎年1年分を翌年1月20日までに報告することとなった。これによって毎年、農商務通信報酬が同商工会に交付されるようになった。その金額は、明治23年−200円、同24年−150円、同25年−150円、同26年−200円となっており、表6−42における函館商工会の会費収入と対照する時、これが商工会の財源のかなりの部分を占めていたことが容易に想像されよう。なお、この通信報酬は、明治27年以降廃止されている。具体的な調査事例としては、函館地方の生産物現金売買の習慣に関する函館地方裁判所予審部からの調査依頼(明治24年10月)、函館港における明治21年以降5か年間の外国輸出重要品の増減状況とその理由に関する函館区役所からの調査依頼(同25年10月)、函館取引所設立に関連する諸調査(函館港の貨物集散状況、函館における貸出為替金及び貸出金高、函館港の将来と盛衰に関係する工事、函館港の倉庫調査)の函館区役所からの照会(同26年6月)、「金銀貨格変動ノ為メ函館港商人ノ蒙ムルヘキ影響」に関する函館税関からの調査依頼(同27年5月)、日清両国の朝鮮出兵に伴う「本道回航ノ船舶」減少が函館港に与える影響に関する函館区役所からの調査依頼(同年6月)、同じく函館区役所からの「朝鮮事件ノ商工業ニ及ホス影響調査」(同年7月)、同様に函館区役所からの「明治廿六年中函館港ニ於ケル昆布集散」状況の調査(同28年3月)などがある。 府県の関連団体との接渉 P805−P806 また、(3)に関わるものとしては、宮城県塩釜港の海産物商からの荻ノ浜−塩釜間艀下船の改良と運賃引下の件についての照会に協力したり(明治26年1月)、あるいは「東京湾、敦賀港、大阪港、四日市港、神戸港、新潟港等ノ船舶貨物取扱上ノ習慣ヲ各地ノ商業会議所、商工会等ヘ照会シ参考ノ為メ調査」を実施したほか(同年9月)、同年11月には、函館物産商組合取締の谷津菊右衛門より「越中国産莚結束方改良意見書」および「青森県産布海苔改良意見書」が商工会に提出されたため、役員会の決議を経て富山、青森の両県知事宛に製品改良の申入れを行ない、同年中に両県から前向きの解答を得ている。この件に関して、さらに青森県内務部からは同県下の輸出布海苔中、「何レノ地カ最モ粗悪ナルヤ」との問合せがあり、11月23日函館商工会は函館物産商組合と協議の上、「上北郡白糠村ヲ以テ最モ甚シトシ、其他泊村及下北郡ノ尻労、尻谷等ノ諸村ヨリ輸出スル者最モ製造粗悪ナルモノ多キヲ見受クル旨」回答している。一方富山県知事からも、翌27年4月になって同県下新川郡下で輸出藁莚改良組合が設立され、「当地産出ノ藁莚ハ自今改良ヲ加ヘ且ツ一手ニ製造シ益々需用者ノ信用ヲ博」する体制が整えられたことを報告してきている。これらの生産地に対する函館市場の影響力が、いかに大きかったかを示すものであろう。 こうした製品改良の交渉は、道外移入品に対してばかりでなく道内製品に対しても向けられており、27年5月には、前記の函館物産商組合の申立てにより、函館商工会は志苔昆布改良の主意書を関係する郡区役所や戸長役場に照会している。 以上述べてきたように、この面での函館商工会の活動は、一定の成果を生み出しつつあったと言える。 閣龍世界博覧会への参加 P806−P808 最後に、(4)に関するものには、商法講究会(明治23年10月より)や「商工業ニ関スル」講話会(明治25年7月より)といった独自の研究会の開催の他に、明治26年アメリカのシカゴで開催された閣龍(コロンブス)世界博覧会への出品、参加という特筆すべき事業がある。その目的は「北海全道並は(に)函館其他要港を世界に広告し、日本の北海道は如何北海道の函館は如何の問題を世界に知らしむる趣向」で、出品物と費用は「大なる軸物五軸の外北海道行程記等なり。其の入費は千二百円を要したり」(久松義典『北海道通覧』)と伝えられているが、この軸物類とは、正確に言えば「函館港及北海道概況一覧表」、「函館実測図」、「函館真景」、「北海道全図」、「北海道各地写真」の5軸である。これら函館商工会の出品物は現地で好評を受け、博覧会の審査で「優等」と認定されて「褒賞」を授与された。そして博覧会終了後、これらの出品物はすべて地元のジャクソン・パーク博物館に寄贈された。以上述べてきたように、函館における「商工ノ隆盛ヲ計」るため多彩な活動を展開してきた函館商工会であったが、明治28年10月の函館商業会議所の設立認可とともに同年12月をもって解散することとなり、翌29年1月には残務整理を完了した。これを受けて同年3月13日、町会所において最後の総会が開催され、小川会頭以下22名が参加した。この席上、小川会頭は函館商工会の8年間の歴史を回顧しながら、その歴史的役割りについて次のように述べている。 満場ノ諸君、本日ノ総会ハ実ニ我ガ函館商工会全ク其終局ヲ告クルノ時ナリ。予ハ本会ノ顛末ヲ略述シテ聊カ会員諸君ノ功労ヲ謝セント欲スルモノナリ。回顧スレハ本会カ明治二十二年四月ニ於テ創立セラレシヨリ今日ニ至ルマテ八ケ年間、而シテ其一年ハ一年ヨリ進歩シ、会員ノ如キモ創立ノ際ニハ僅カニ三十九名ナリシモ其後九十名ニ垂ントシ、本会ノ信用ト勢力モ亦星霧ヲ逐フテ増大ニ至リ、本会ヨリ諸官衙ヘ建議シタル諸件、若クハ商工業上ニ就テ諸官衙ヨリ諮問ヲ受ケタル諸件、又ハ各府県実業団体及ヒ商業会議所等ヨリ調査ヲ委任セラレタル諸件ハ、重要ノ件ノミニテモ百余件ニ渉リ、而シテ其調査報告シタル所ノモノハ皆悉ク当局者ノ参考ニ供セラレ、是ニ依リテ新事業ノ設立セラレタルモノアリ、商工業上ノ法律ニ改正ヲ加ヘラレタルモノアリ、海陸物産ノ改良ヲ促シタルモノアリ。其他商工業ノ振興ニ至大ノ利益ヲ與ヘタルハ、能ク本会ヲ知ル人ノ知レル所ナラン。故ニ敢テ喋々ヲ要セサレドモ此ニ一二ヲ挙クレハ、本会カ嚮キニ米国閣龍世界大博覧会ニ出品シ、以テ日本帝国ニ北海道アルコトヲ世界ニ公告シ、函館港商工業ノ最モ将来ニ有望ナルコトヲ唱道シテ大ニ世界商工業者ノ耳目ヲ聳動シタルカ如キ、又創立以來間断ナク当港船舶貨物ノ輸出入ヨリ其他必要ナル当港商工業上ノ調査報告ヲ世ニ公ニシテ、以テ商工業者ノ参考ニ供シ、世人ヲシテ北海道ノ商工業ニ注意ヲ惹キ起サシメタルカ如キ、又当区ニ在リテ之レヲ云ヘハ、函館取引所ノ如キモ本会ノ主唱セル所ニシテ、函館商業会議所ノ如キモ夙ニ本会ノ主唱シ数々其筋ヘ建議セル所ニシテ、即チ其基礎ハ本会カ之ヲ作レルモノナリ。而シテ是等皆実ニ会員諸君ノ商工業上実利ヲ進渉セシムルノ熱心ヨリ成レルモノニシテ、其功績ハ永ク実際ノ上ニ於テ存在シ、将来商工業ノ発達ト共ニ益々光輝ヲ発スヘキコトヲ確信スル所ナリ。 |
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