| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
||||||
|
第6章 内外貿易港としての成長と展開 函館商人大懇親会 |
函館商人大懇親会 P794−P796 開拓使が廃止され、函館県他2県が設置された翌年にあたる明治16年3月12日付の「函館新聞」に、山本忠礼、工藤弥兵衛、林宇三郎、枚田藤五郎、杉野源次郎、石田啓蔵、納代東平の7名が発起人となった「函館商人大懇親会」なるものの開催広告が掲載されている。この集会自体は、「当今函館商業ノ不景気ハ未曽有ニシテ、其ノ商家ノ困難ハ実ニ名状スヘカラス、此ノ時ニ当リテ斯ル景気ヲ挽回」(同前)せんがために企画されたものであるが、では懇親会の状況はどのようであったのだろうか。
この他、設立委員には、前記の「大懇親会」の発起人7名と野村正造、平出喜三郎、渡辺正七、丸茂喜代吉、吉崎清七、伊藤鋳之助の6名、計13名が追加されている(明治16年3月18日付「函新」)。 この懇親会から2日後の3月16日には、前記の設立委員による最初の委員会が「すさまじき風雨(あらし)」をついて末広町の森善で開催され、山本忠礼より提案のあった次の5点について議決した(同前)。 1、商法会議所創立仮事務所を設立すること その理由はいろいろと考えられるが、まず第1点として、明治13年段階は別として、この16年の時点においては、全国的にみてもはや商法会議所設立の気運は著しく退潮しており、会議所の勧業会組織への再編成が進行しつつあったことが挙げられよう。こうした全国的動向に加えて、第2点としてはこの函館における商法会議所設立運動の中心的存在であった山本忠礼が、この16年末に函館を去っていることも(永井秀夫編『北海道民権史料集』第4編)、決して無関係とは言えないであろう。 かくして、函館商法会議所の設立問題は、明治10年代における2度の機会を生かすことなく流産してしまったのである。 |
|||||
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第2巻第4編目次 | 前へ | 次へ | ||||||