| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第5章 近代港湾の生成と陸上交通の整備 維新前の様子 |
維新前の様子 P579−P580 『函館海運史』によると、維新前、和船は直接海汀に建てられた問屋の柱に纜(ともづな)を結んでいたといっている。「綱知らずの港」として知られた函館港では、最初「陸上との直接荷役が行われていたものであろう」と推定している。小型和船の場合であるなら、その推定は正しいと思う。大型の千石船の場合には、そういう簡単な方法ではうまく行かなくなるのは当然で「享和元年、幕府が始めて蝦夷地を直轄するようになって、松平忠明等の考案で内澗町に堀割工事が行われた。これが函館における最初の港湾施設で、荷役にはこの堀割が利用されるようになった。その後安政六年貿易開港場となって……大型の汽船が入港するようになって自然沖荷役が盛んになり……明治時代になって函館港の艀船が先ず松前からの移植によって俄かに発達し……」と説明されている。同書によると「函館港における艀業の創始は角の一岡村の先代小一郎で、明治初年松前から函館に移住し、函館港に最も適した艀型を考案したのが明治七年ころといい残されている」という。これが函館港型艀船で、箱型の平底船で、凸型かつ大型であり、沿岸一定の個所に繋留したものである。艀船が、港湾運送の生産手段である以上、 |
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