| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第4章 都市形成とその構造 街区改正がもたらした諸相 |
街区改正がもたらした諸相 P516−P520 明治11、12年大火後の街区改正は道路の整備を集中的に行う契機となったばかりでなく、基坂や二十間坂にみられるように道路そのものが防火線の役割を担うようになったこともその特徴であろう。また街区の十字形は、坂道の直線化を生み山の手地区から海岸地区までも一直線に連続することを可能にした。さて街区改正事業の課題である道路の整備とともに、もうひとつの柱が家屋改良であることは前にも述べたとおりである。この家屋改良については、大火以前においても次のような達しが明治8年に出されていた。 函館区中へ さて、特に明治12年の大火後の街区改正に関連する事項を断片的に紹介してみると次のようになる。一つは、耐火建築という意味で家屋ばかりでなく、火防土塀などが設置されるようになることが次の史料から理解できる。
火防土塀設置願 次に、坂道の直線化とその工事で石垣が施された関係からか、崖地保全規則が明治13年4月21日に布達された(明治11年「市街改租書類」)。この布達により崖地の所有権の明確化と石垣などによる崖地の保全を義務づけることになった。このために官有地については「右ハ外国人シロタ氏ヘ御貸渡可相成富岡町拾六番地海手崖地ヘ石垣築造ノ上御渡可相成」(明治12年「大火災関係書類」道文蔵)というように官の施行によっており、民有地についても、所有者がその保存の義務を有することが次の史料から理解できる。 保存御請書 右今般御払下相成候私所持地附属石垣之儀ハ永延保存仕、決シテ破毀等致間敷候、此段御請申上候也 最後に明治12年大火後の街区改正を機に町の機能性が規定された事実にふれておきたい。それは船場町を倉庫地に定め、この後は一切居宅を取設ける事ができなくなった事である(明治13年1月27日「函新」)。その理由については「当港輸出入貨物漸次盛大ニ至候処、土地狭隘ノ為メ倉庫地トナルベキヶ所無之為メニ、輸出入貨物船積陸揚等往々渋滞ノ弊ヲ来シ、貨主等困難ノ情不少、依テ相当ノ倉庫地ヲ相設ケ、是等ノ弊害ヲ防キ人民ノ便利ヲ謀リ度、種々焦慮罷在候折柄、一昨十一年為基出札ノ節札幌並根室製造品格護ニ可相充倉庫地取極候様、御下命ノ趣モ有之候」(前掲「大火災関係書類」)という開拓使の判断があった。そして、その背景には「中浜町東浜町道路改正ニ付居住地減縮シ土蔵ヲ築造スベキ余地ナキヲ以テ地蔵町共有地其最寄官有地ヘ土蔵造荷物庫建築適当ナリ」(明治13年7月5日「函新」)という道路改正委員よりの意見と三菱会社および廣業商会よりの願出による働きかけがあった。このために居留外国人ブラキストンの家屋も買上られており、その他埋立などもして船場町は倉庫地として整備されることになった。 さて、2度の大火による街区改正とその他の諸相について説明してきたのであるが、ここで共通していえることは、これらの改正により都市景観が大きく変化したということである。つまり雑然としていた町並みの中に、計画的な視点がもり込まれたことを意味している。そしてこの点に都市形成における近代性を見い出したいのである。また、街区改正による効果は、火事に対する防備ばかりでなく、水道管敷設や馬車鉄道の運行などにみる、次の都市整備の受皿をも準備したことになるのではないだろうか。また、通りを中心とする横の往来に対し坂道による縦の往来も増えることになり、商人らの職住分離を誘引したことも考えられるのである。寺社空間は市街地の中心より排除された形で移転することにより、広い都市空間を提供することになった。いずれにせよ今回の街区改正は、近代的都市形態の基礎づくりをし、それに新たな都市整備が付加されることになる。 |
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