| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第4章 都市形成とその構造 明治11、12年の大火による街区改正 |
これまでは、市街地という漠然とした空間を土地制度や町のもつ機能性あるいは経済力という視点からアプローチしてきた。これにより空間が多様な数値や性格を持っていることが理解できたのである。しかし、その数値つまり地価や店舗数などの変化についての記述が先行し、現象論的な説明に終始した面がある。都市基盤整備はこのような現象と関連しながら、それらを補足するとともに都市現象の推移をも説明しようと思う。 明治11、12年の大火による街区改正 P513−P516 明治11、12年の大火にともなう街区改正は、それまでの都市形態を大きく変え、その後の町名変更、地租改正の基礎をつくることになった。この点を強調すれば、この時点以降を近代的都市形成と位置づけることも可能だと考えられる。まず明治11年11月16日の
このため街区改正の主眼は道路整備と耐火家屋の奨励を中心にすすめられることになった。具体的には明治11年の街区改正では「一、弁天町及大町等ノ如キ大道ハ道幅十間以上トシ一直線ヲ要ス 一、山ノ手ヨリ大通ヲ横断シ海岸ニ至ル通路ハ幅十間以上トシ、適宜ノ場所ヲ撰ヒ二町或ハ三町毎ニ開通シ裏通リ及横町等ハ幅六間以上トシ倶ニ直線ヲ要ス 一、大通リ及山ノ手ヨリ海岸ニ出ル両傍ノ家屋ハ石造煉化石土蔵等不燃質ノ建築ヲ要シ、若シ資カ及難キ者ハ塗屋ニ建築セシムヘシ」(『開事』第2編)などの指導があった。その他特に山の手地区の家屋はロシアのウラジオストク風に模倣することをすすめている。それは黒田清隆開拓長官が同地へ出張しており、その影響を受けたためと考えられる(『初代渡辺孝平伝』)。
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