| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第4章 都市形成とその構造 地券発行と土地の私有化 |
明治時代の都市形成については、旧体制との非連続性と新たな土地制度という観点から、明治5年以降をその対象とする。つまり幕末期の外交問題によって誘引された都市形態から新政府による政策の実現化へ、函館の都市形成のテーマも移ることになる。そのために、まず「都市と土地」との観点から地租改正を中心とする土地制度を整理し、その上で土地に関連する諸問題を考えてみることにしたい。 地券発行と土地の私有化 P482−P485 新政府は旧幕時代の土地支配から地租徴収へと政策を転換しようとしていた。そのためには土地所有権を広く認め、その所有者が地租負担者となるための土地所有者を明確にする必要があった。この点を具体化したのが地券の発行であり、明治5年2月施行の「地券渡方規則」によるところから、「壬申地券」と呼ばれた。この地券発行は、あくまでも土地所有者を決定することが主旨であり、地価賦税の性格は有していなかった(佐々木寛治『地租改正』)。この政府の動きと関連して、北海道では明治5年9月に「地所規則」が出され、土地の所有、賃借、地租などに関して詳細に規定している。しかし、基本は開拓による私有地化をうながし、その所有者の把握が主眼であったと考えられる。ところで同規則の最後の第19条には「函館及ヒ其近傍ノ地、既ニ税則定リタル分ハ此限ニ非ス」(『新撰北海道史』通説2)とあり、函館についての税制を別扱いしている。これについて明治5年11月の函館支庁布達によれば「本年五月中大蔵省第二十号布達地券発行規則ノ義及布令候通地租上納ノ義モ右月ヨリ規則ノ通可相納」(『布類』)と地租の上納が義務づけられていた。 この函館の土地に関する税制は古くからみられ「官地払下ハ別段ノ制限ナシト雖ドモ函館ニテハ往昔ヨリ住居セル分ハ自然私有地ノ姿ヲ為シ、別段願出タル例ナシ。安政年代ヨリ初テ官地ヲ願受[沽券地ナリ]、私有地ノ証ヲ得ルモノトセリ。(中略)願受ノ土地ハ地子永ヲ納ムル旨願書ニ記シ」(前掲「維新前町村制度考」)とあり、10坪につき永50文と永30文の2段階に地子永が決められていた。時期が前後してしまうが、函館は明治5年6月19日に、地券発行についての布達が出されており、これに関連して同月24日に表4−4のとおりの町別地価についての達しも出されている(明治2巳年〜5申年8月マテ「諸用留」)。そして明治5年における函館の地税は地券税に改められ、地券高の100分の2と決められた(『開事』第5編)。しかし実際には、「格別ノ訳ヲ以地券高千分ノ八」(『布類』)に修正されており、「地租上納帳」においてもこのことを裏付けることができる。
さて、明治6年より地租改正の行われる14年までの沽券地坪、地租金、地券件数などの動きをまとめたのが表4−5である。地券件数の増加にともなう地坪の増加は約74万坪をピークに、明治6年時より約7万坪増加した。しかし明治11、12年の大火の際の街区改正による土地の買上げがあったため、同12、13年には減坪しており、当然この事と関連して地租金も減少した。地租金に関しては、明治10年において増加していることもわかるが、この理由は税率の上昇によるものであった。つまり「北海道地租当分地価百分一ニ定ラル因テ先函館市街地ニ限リ該地租ニ改ム」(『開事』第5編)という達しにより、税率の変更がなされた。ちなみに他府県の市街地の地租は、壬申地券期では地価の1パーセントであったのが、この地租改正において3パーセントに引き上げられており、函館よりかなり高い数値であった(佐々木寛治『地租改正』)。
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