| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第2章 開拓使の設置と函館の町政 地方制度3新法の制定 |
地方制度3新法の制定 P367−P369 函館で総代人選挙実施に向けて選挙人名簿の作成を進めていたころ、地方制度の改革を推進していた政府は、明治11(1878)年7月22日「郡区町村編制法」(太政官布告第17号)、「府県会規則」(太政官布告第18号)、「地方税規則(府県税及民費ノ名ヲ以テ徴収セル府県費区費ヲ地方税ト改メ規則ヲ定ム)」(太政官布告第19号)のいわゆる地方制度の3新法を布告した。この3新法について政府は大小区制を率直に反省する施行理由を示し、同時に施行順序をも具体的に示している。施行理由は、数百年慣習の郡制をやめ新規の大小区制を設けてみたが、人心に適せず便宜を欠き弊害も多かった。地方の区画は美法良制だけでは地方の実情に合致しないということが判ったので、多少不完全でも固有の慣習によって行政区とすることとした。地方行政制度の区画と住民社会独立の区画とが混交することとなるが、これを分けるのは将来のこととし、府県都市は行政区画と住民独立の区画の2種の性質を持たせ、町村は住民独立の区画とし、都市吏員は2種の事務を兼掌することと述べ(「地方体制三大新法理由書」『自治民政資料』)、施行順序については、改正は実地都合に応じ区画を設置することとし、費用負担も慣習の旧法でよく、府県会議開設の緩急も地方長官に任せ、地方税の税目もその地方要用費目は政府の裁定を受ければ徴収可能とする。また地方税は地方一般の利害に関するものとし、区町村限りの利害に関するものは協議費で支弁することとしている(「郡区町村編制府県会地方税両規則施行順序」『法令全書』)。郡区町村編制法は、わずか6か条からなる簡明な法で、地方区画の基本線を示したものである。郡区の規模等は地方の実状に則して決められるもので、府県の布達で具体的に実施されるものであった。 郡区町村編制法 大区小区制は廃止され、旧来の郡町村制が復活したわけである。区は「三府五港其他人民輻湊ノ地」に特別に郡の代りに設けられた区画である。各区画の長として、郡に郡長、区に区長、町村に戸長各1人を置き、区内の町村では区長が戸長事務を兼ねることができるとした。郡を官治行政の末端に位置づけ、町村の監督機関とし、町村については、旧慣を尊重すると共に、多くの国、府県の事務を戸長役場において委任分担させ、官治行政の最末端としての位置づけを考慮したものであった。 つぎに府県会規則では、府県会に地方税で支弁する経費の予算及び徴収方法を議定する一定の参政権が与えられた。選挙資格は、地租5円以上納入の20才以上の男子、被選挙資格は、地租10円以上納入の25才以上の男子と、有産階級の参政範囲を明示した。投票方法も、あらかじめ配布された投票用紙に選挙人被選挙人の住所姓名年令を記入し、所定の日に郡区長に提出する方法で、「投票は代人に托し差出すも妨なし」であったから、有力者に有利な選挙方法であった。しかし、議案発案権は府知事県令が握り、議決事項は府知事県令の許可後施行できるもので、更に対立事項については府知事県令が内務卿に上申して指揮を請うこととなるなど、府県会は国家権力の協力な規制下におかれたものであった。 最後に地方税規則であるが、これら地方制度の改革に沿った地方税則の整備であった。内容は前述の通りで(第2章第3節)、毎年2月までに府知事県令は翌年度の予算を立て、府県会の決議を経て5月までに内務卿大蔵卿に報告することになったのである。 |
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