| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
第2章 開拓使の設置と函館の町政 町会所の組織構成 |
町会所の組織構成 P327 前述の通り町会所の責任者は、江戸時代の町年寄・名主が開拓使により明治2(1869)年11月、大年寄・中年寄と改められ、さらに明治5年2月、大区制導入により戸長・副戸長となった。このとき函館は3大区となり、大区には戸長1名、副戸長2名が配置され、これを統括する者として総長(のち区長と改称)が置かれることになり、11年4月に14大区戸長の常野与兵衛が初めて3大区の区長に任命された。町会所は区長・戸長・副戸長体制となったのである。もっともこのときは、前年末の町会所行革のあおりで戸長は罷免され1人もいなかった。その後7月26日には副戸長がすべて戸長と改称された。1等戸長、2等戸長という形をとり、事務分担も明確化し、専務制(表2−28)が敷かれた。この戸長が大区事務所である区務所にあって大区を統括するというのが大小区制の基本形であるが、函館にあっては、その事務を町会所内で一括する体制であった。
町用扱所 P327-P328 当初、大区の事務を執る所として「町用扱所」を各大区に設置することを企画した。明治6年4月16日に開拓使函館支庁の会議所(第1節参照)へ提出された議案中に「町用取扱所三大区ニ設ルノ儀」というのがあり、原退蔵大主典をはじめ7名の函館支庁幹部が可否を花押付で署名している。原退蔵大主典が「戸長輩ノ所見ヲ問サレハ可否発難」と意見を保留した以外は、岡本長之大主典の「可トス、但下民ノ情ヲ得テ決定」との意見に同調している。これとは別に、開拓大主典有竹裕と邏卒権検官山内久内が「答議」を提出、町用扱所の必要性を述べているが、有竹の答議が簡潔なので要点を次に掲げておく。一 三大区中ヘ一ヶ所宛町用扱所ヲ置ベキ事 但東京ノ例ニ倣フテ邏卒屯所ニ接近スベシ しかし函館では、開拓使官吏が意図した町用扱所は設けられず、市民の願伺届等の窓口は、町会所対応のままであった。 大区扱所・小区扱所 P329 その後、この扱所という名称は、大区扱所と小区扱所とに二分されるようになるが、函館では最後まで大区扱所が有名無実であったため、いつからそうなったのかは確認できなかった。ただ、全道一律に大小区制が実施された明治9年9月以降は、大区扱所、小区扱所の名称は定着しているようで、この頃ようやく扱所体制が整備されたのであろう。この大区扱所が、翌10年5月に「従来各町ニ取設有之大区扱所及ヒ会所等(函館町会所ヲ除)ハ、自今開拓使第何大区区務所ト改称シ、左ノ雛形ノ通印章彫刻相添可申届出、此旨相達候事、但小区ノ儀ハ従前ノ通何大区何小区扱所ト可称事」(明治10年「函館支庁日誌」道文蔵)との達書をもって区務所と改称された。しかし区務所となっても大区事務が函館町会所において取扱われることには変わりなく、形式的には3つの区務所が町会所内という体制であった。この大区は小区に区画され、「小区扱所」というものが置かれた。「小区扱所」は、小区内限りの事務を取扱う町用掛の事務所といえるものである。函館では小区の規模等を考慮してか、14大区の1、2、3小区と16大区の2、4、5小区は連合して小区扱所を持ったので、函館市中の小区扱所は全部で11か所であった。この小区扱所には、事務担当責任者である町用掛1人と書記小使が適宜配置され、その小区の諸務を担当したのである。ただし、明治5年10月の段階で、住民の転居届である贈籍状を取扱う事務所として、「戸籍取扱所」というのが存在していたという記録がある(田中家文書「諸用留」)。贈籍状の書式をみると、この戸籍取扱所の担当者は町用掛のようで、大小区画が設定された当初は、小区単位の事務取扱所をこのように呼んでいたのかもしれない。また、開拓使が函館で執務を開始した明治2年10月には、「取締所」というのが存在したとの記録もある(山越内村帳場「触書留」)。この取締所というのは、開拓使の農政掛(民政担当係)が諸願伺届の提出先としてまず指定した所で、市在に何か所も存在しており、函館市中では高張提灯を掲げる所の1つとして記されており、これも小区扱所の前身といえる存在なのかもしれない。組合頭・伍長 P329-P332 小区内では、10数戸から30戸ほどのまとまりで組合を作っている。その代表が組合頭である。組合頭という名称は、江戸時代に設けられた隣保組織「5人組」の長をさしたもので、組頭とも伍長とも呼ばれ、町役人の枠外の位置付けではあるが、組内の諸務を担当してきた。組合頭の任命方法は、江戸時代には名主・町代による選任という形で行われてきたが、大小区制が定着するにつれ、公選制を取り入れた「組合頭編製法」(明治9年)が定められ、小区の住民が投票によって組合頭を選ぶこととなった。第2大区3小区の大黒町(戸数151)では、明治9年2月12日に組合頭の選挙が実施された。次はその選挙結果の広告であるが、明治9年の戸数6317戸(明治9年「管内村町戸口表」道文蔵)から推定すると、函館市中では200余人の組合頭が選任されたものと思われる。 広告 町会所、区務所、小区扱所の関係と区長、戸長、町用掛、組合頭、伍長を系統図的に図示すると図2−1となる。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第2巻第4編目次 | 前へ | 次へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||