| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第2章 開拓使の設置と函館の町政 開拓使出張所の初政 |
開拓使出張所の初政 P268−P270 函館の開拓使出張所は、長官が在勤し開拓使の本庁的機能を果たしていたが、明治3(1870)年閏10月9日には東京の開拓使庁が廃止され(「太政官日誌」『維新日誌』)、東京出張所と改称されたため、出張所とはいいながら本庁的位置付はより明確なものとなった。なお、東京出張所は、東久世長官が退任後は開拓使を掌握した黒田清隆次官が在勤したため、開拓使全体の上局(長官、判官等その庁の代表者)的存在として開拓使が廃止されるまで存在した。ところがこの時期、開拓使の本務である開拓については、樺太は岡本判官、根室は松本判官、宗谷は竹田判官、そして最大の懸案事項である札幌での本府建設は島判官と、夫々現地で根拠地作りの任務に就いたばかりで、開拓政務総攬という体制はこれからの状況であった。このため開拓使出張所の日常業務は、おのずと箱館府からの引継業務中箱館府が所管した地域の地方行政事務が主なものとなった。この所管地域というのは、旧幕府箱館奉行以来直接管轄してきた地域で、明治2年8月15日の国郡設定の際渡島国亀田、上磯、茅部の3郡となった所である。ただし幕末以来所管地になっていた山越内村と長万部村の胆振国山越郡は、開拓使出張所設置前に兵部省所管(3年1月からは斗南藩の所管)となっていたため除かれ、廃藩置県の施行に伴って分領支配が廃止された4年8月に所管地に組み込まれている。開拓使出張所は箱館府の事務分課を大枠ではそのまま引継いだようである。次の達書は開拓使出張所の取扱事務概要を知る上で格好の史料なので全文を掲げておく。なおこの達書には、明治2年10月に海官所(翌3年12月には海関所と改称、次いで同8年2月に船改所と改められる)と改称された沖ノ口の名があるので、箱館府から事務を引継いだ直後のものと思われる。 明治三(二カ)年十月達 ところがその後の動きや当時の書類をみると、開拓使出張所の「係」はこの5係だけでなかったことは明らかである。そこで当時の書類(明治2年「開拓使布達達書原稿」道文蔵)から、布告や布達を回達した宛先を拾ってみると次のようになる。 庶務掛、農政掛、金穀掛、外務掛、刑法掛、営繕掛、用度掛、沖ノ口掛、運上所、病院、産物掛、 函衛隊、器械方、玄関(伝達)、門番 このうち函衛隊は、係というには若干異質であり、器械方、玄関、門番は庶務掛等に属するもののようで、産物掛までが箱館府の業務を引継いで「係」として動いていたのではないかと思われる。ほかにも各掛相互の関係など詳細には確認できなかった点もある。このような体制で開拓使出張所の初政は出発するのである。 |
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