| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
|
|
第1章 維新政権成立期の胎動 施政方針 |
箱館府は、慶応4年5月1日から、榎本武揚らの旧幕府脱走軍の襲来により青森へ退避する10月25日までと、翌年脱走軍が降伏し、運上所を仮事務所として政務を開始した明治2年5月19日から、開拓使長官東久世通禧が来函して箱館開拓使出張所を設ける9月30日まで、前期約6ヶ月間、後期約4ヶ月間、箱館にあって政務を担当した。前期は、北陸地方から東北地方一帯が戊辰戦争の主戦場となったため、政情が安定せず、供給物資の途絶による経済活動の低迷で、具体的な施策を遂行する財政的時間的な余裕がなく、後期は、箱館戦争の戦後処理に奔走させられ、その混乱から抜け出せないまま、開拓使へ諸務を引継ぐことになってしまったのである。
施政方針 P215−P216 箱館府は、開庁と同時に新政府の施政方針の普及教化に着手する。旧幕府の高札を掲示場からすべて撤去し、「五條の掲榜」に取り換えた。この高札は、新政府がその基本施政方針を広く全国民へ知らせるため、3月15日掲示通達したもので、「一 人たるもの五倫の通を正しくすへき事、一 鰥寡孤独疾病のものを憫むべき事、一 人を殺し、家を焼き、財を盗む等の悪業あるまじく事」(「太政官日誌」『維新日誌』)の3か条で始まる第1札から第3札までの「定」で五倫の道を説き、悪業、徒党、邪宗門の禁止を謳い、第4、第5札の「覚」では攘夷を禁止し、万国公法に基づいた外国交際を行うこと、士民の本国脱走禁止などを謳っており、封建的統治策の継承を表明したものではあったが、天皇制による統治開始を強調したものとなっている。さらに「おさとし文」等を布告して、「王政復古」「天皇親政」の周知をはかり、「御一新」を強調、「王政はひろく教を設けて民の害をのぞき、生育の出来がたきものを救ひ給うものと心得、おろかなるものへ説きさとすべきもの也」(「旧記抄録」『函館市史』史料編2)と、王政が民政安定の基であると説いている。しかし、戊辰戦争は東北地方へと戦線が拡大され、奥羽戦争といわれる状態となり、慶応4年に入ってから滞りがちであった物資の供給が、箱館裁判所(箱館府)が開庁された5月は最も活況を呈する時節に至りながら閉塞してしまい、不安と動揺はさらに増幅されていた。 |
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第2巻第4編目次 | 前へ | 次へ | |