| 通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ |
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第1章 維新政権成立期の胎動 箱館裁判所の内部機構 |
箱館裁判所の内部機構 P197−P200 5月1日、五稜郭において箱館裁判所の開庁が宣せられ、引継ぎを終えた杉浦兵庫頭は、「此度裁判所御取立ニ付、今朔日当地市在其外共引渡相済候条、得其意小前末々迄不洩様可触知モノナリ 五月朔日 兵庫 印」(「函館公文集」巻3)と、為政者交代の触書を発し、最後の勤めをはたした。一方裁判所は、箱館在留の各国領事に対して、権判事小野淳輔の名をもって「今一日当地諸政務総督府へ受取、外国事務ノ儀ハ拙者并別紙名前ノ者引受取扱、且ツ運上所ノ儀ハ差向是迄ノ通据置候ニ付、此段及報告候 謹言」(「各国官吏触達書」『函館市史』史料編2)との通知(小野以外の外務担当者は長谷部卓爾、三沢揆一郎、榊正之助の3名)がなされ、蝦夷全島の政務一切を委任された箱館裁判所は、この日正式にその任に就くこととなったのである。裁判所首脳は閏4月27日五稜郭の管理引継ぎ後、裁判所規則の検討を進めていたが、まず官吏服務規定「覚」(慶応4年5月「箱館裁判所例規」)を定めた。この服務規定は「(1)局中一和に信義を不失様肝要の事」以下6か条からなっており、(2)権威がましき振舞の禁止、(3)外国人との勝手な談話や喧嘩争論の禁止、(4)異変の際は混乱を防ぎ臨機の指揮を待つこと、(5)法令を守り役務に精勤し、悪を掩い善を拒むことなきこと、(6)不正の所業は虚実を監察方で糺すこと等が述べられており、上層部は京都から総督に随従してきた者、下僚は旧幕府箱館奉行所から実務担当者として引継がれた者とから成り立っていた箱館裁判所が、まず所内の宥和と規律に配慮していたことが窺われる。 次いで、職務内容とその分課を定め、主要担当係官名と共に布達した。杉浦兵庫頭の日記には4月29日の項にその内容が載せられている。この職掌は5月7日に改正されているので、改正後のものを次に掲げる。 分課 主任官名 職掌 職制については、上級職は京都において総督、副総督、判事、権判事が任命され、新政府の地方行政官として明確に位置づけられていた。もっとも判事、権判事は、内国事務局の判事、権判事として任命され、箱館在勤も同時に命ぜられるという形をとっていたが、閏4月24日に箱館裁判所総督が箱館府の知府事と改称された時、判事、権判事も判府事、権判府事と改称され、箱館府直属の職員となった。しかし、実質的な政務担当者である属僚の職名は、裁判所開庁前は判事の下に判事試補、病院懸り等の職務別の懸り、筆生、加勢、学校助教、付属などの職名が付けられている史料(上山半右衛門「日記」等)もみられるが、総称としては裁判所付属と呼ばれていたようで、裁判所開庁の際、判事、権判事以下の職名を司事、参事、従事、給事、趨事、無等(のち行事と命名し、7月8日に属事と改称)の6等と定めた(確定は五月七日のようである)。実務担当者の大半を占める旧幕府の属吏も、次のような基準で裁判所職員に任用され、市在支配や沖の口・運上所業務などの実務は、旧幕府箱館奉行所のころと大差なく遂行されていくこととなった。 職名の対照表及び給料と各局定員数 |
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