通説編第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ


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序章 世界の中の箱館開港
第2節 箱館奉行の再置と箱館
1 箱館奉行の「預所」と諸任務

箱館奉行の再置

幕領初期に直面した問題

蝦夷地と箱館と

踏絵の見合せ

奥羽5藩の警備と箱館

奉行配下の吏僚

6藩分領と奉行「御預所」

箱館奉行の再置   P71−P74

 安政元(1854)年6月30日、幕府は箱館奉行を再置した。この再置以降の箱館奉行は、松前・蝦夷地の幕領地支配にかかわる幕府の遠国奉行という点では、享和2(1802)年2月23日創置の蝦夷地奉行(同年5月10日、箱館奉行と改称し、次いで文化4年10月24日、松前奉行と改称)と同じ性格を有するものであったが、その設置の直接的な契機は、享和2年創置の蝦夷地奉行(箱館奉行)のそれと若干異なっていた点に留意しておく必要がある。享和2年の蝦夷地奉行(箱館奉行)の設置は、ロシアの南下現象(とりわけ千島列島を介した蝦夷島本島への接近)を軸とした外圧に対する対応策としての東蝦夷地の仮上知と、それに続く知内川以東の和人地および東蝦夷地の永久上知を大きな契機としていたが、安政元年の箱館奉行再置の直接的な契機は、対露対策というよりは、むしろ同年3月3日調印された日米和親条約による安政2年3月以降の箱館開港という問題にあった。すなわち前節でみた如く、同条約では、下田は調印日より開港、アメリカ人の遊歩区域は7里四方とされていたが、箱館については、開港期日は安政2年3月とされていたものの、遊歩区域は未定であった。ところがその後、同年5月22日調印(25日交換)の追加条約(条約附録)で遊歩区域が正式に5里四方と決定したため、幕府は6月26日、松前藩より箱館および同所より5〜6里四方の地を上知し、これとのかかわりで6月30日箱館奉行を再置して勘定吟味役竹内清太郎を同奉行に任じ、7月19日、これらの幕領地を箱館奉行の「御預所」としたのであった。
 このように、箱館奉行の再置それ自体は、箱館開港への対応とそれに伴なう箱館を中心とした5〜6里四方の幕領地(箱館を中心とした「和人地」)の支配を目的としたものであり、「蝦夷地」の幕領地支配を目的とするものではなかった点で、享和2年の蝦夷地奉行(箱館奉行)の創置のあり方とは大分趣を異にしていたのである。このことは、左記の安政元年閏7月15日付箱館奉行竹内下野守宛老中下知状(『幕外』7−補遺4)の内容からも窺うことができる。

          条々
一箱館之儀、寺社・町人・百姓等に至るまて、御法度相守之、不新儀旨、常々可申聞
一約条之船渡来之節者、随分平穏ニ可-計之、薪水食料并ニ闕乏の品渡方等は、船中の様子見計、正路に取計、猥之儀無之様可申付候、密々異国人与親ミ、直商売致すもの於之者、急度可罪科
一箱館之もの共公事訴訟等有之節者、諸事准江戸之御仕置申付候、尤異国人共不正之儀も於有之は、其船主江達し可沙汰
一万一異国之船不慮に令着岸、及不義働、人数於入は、津軽越中守・南部美濃守・松前伊豆守江申遣し、人数為差出、箱館勤番之人数等差加取計之、早々可注進
右之趣相-守之沙汰之旨、処仰出也、仍執達如
   嘉永七年閏七月十五日
                                                    (老中六名連判)
      竹内下野守殿

 つまり、再置時の箱館奉行に課せられた主要な任務は、(イ)「箱館」(内実は箱館を中心にした5〜6里四方の幕領地)の統治(第1条と第3条前半)、(ロ)箱館開港に伴なう対外関係の処理(第2条と第3条の後半)、(ハ)箱館を中心にした幕領地の海岸防備、の3点であり、同日付箱館奉行宛将軍黒印状(『幕外』7−補遺3)とのかかわりでは、「箱館表」(範囲は前記の「箱館」と同じ)の統治とキリシタン禁制の貫徹であった。しかし、再置時の箱館奉行に課せられた主要な任務が右のようなものであったことは確かとしても、嘉永6(1853)年7月、ロシアの対日使節プチャーチンが長崎に来航し、幕府に通商と蝦夷地(千島と樺太〔当時日本側では「北蝦夷地」と称す〕)の国境の協議を求めたことから、幕府は他方で蝦夷地対策を迫られ、そのため幕府は、以後幕吏を松前・蝦夷地に派遣してその調査を行なわせ、その結果、彼等から相次いで蝦夷地対策の急なることが老中に上申されるに至ったこともあって、安政元年末以降、蝦夷地の上知問題が急浮上し、それに伴ない箱館奉行の任務も翌安政2年以降大きく変容していった。
 そこで次に、箱館奉行再置以降の同奉行の任務のあり方の特徴と彼等が当面した諸問題の特徴を、(1)箱館奉行再置時から安政2年2月21日までの箱館および同所より5〜6里四方の地の幕領期(第1期)、(2)安政2年2月22日から同6年9月26日までの木古内村以東、乙部村以北の和人地および蝦夷地全域の幕領期(第2期)、(3)安政6年9月27日以降幕末までの蝦夷地の奥羽6藩分領期(第3期)、の3期に分けて、ごく要約的に整理しておきたいと思う。なお、箱館奉行再置以降の同奉行の補任の推移は、表序−4のとおりである。

表序−4 箱館奉行(再置以降)
 
氏名
称呼(官名)
前職
補任年月日
転免年月日
後.職
備考
1
竹内(清太郎)保徳 下野守 勘定吟味役 嘉永7.6.30 万延2.1.20 勘定奉行(勝手方) 200俵加増
2
堀(織部・利忠)利熈 織部正 目付 嘉永7.7.21 万延元.11.20 (没)   安政5.7.8より外国奉行(初置)兼帯
安政6.6.4より神奈川奉行(初置)兼帯
3
村垣(與三郎・範忠)範正 淡路守 勘定吟味役 安政3.7.28 安政5.10.9 外国奉行 200俵加増
4
村垣(與三郎・範忠)範正 淡路守 外国奉行 安政5.10.11(兼) 〈再〉 文久2.7.6(兼免) 外国奉行 兼帯,安政6.4.7より勘定奉行兼帯(安政6.11.1 免),安政6.6.4より神奈川奉行兼帯(万延元9.15免),文久3.6.25より作手奉行
5
津田(半三郎)正路 近江守 目付 安政5.10.11 文久2.7.5 外国奉行 万延元.12.13より外国奉行兼帯,文久2.閏8.26より勘定奉行(勝手方)
6
勝田(次郎)充 伊賀守 勘定吟味役 万延元.9.7 文久2.7.5 先手弓頭  
7
糟度義明 築後守 先手弓頭 文久元.6.21 文久2.12.28 新番頭格御小納戸頭取  
8
水野忠徳 筑後守・下総守 外国奉行 文久2.7.13 文久2.9.3 (病気により隠居) 彼地在住被仰付・常々出精二付,勘定奉行格
9
小出(修理・実)秀実 大和守・左衛門尉・美濃守 目付 文久2.9.7 慶応3.7.27 勘定奉行(勝手方) 慶応2.8.18遣露使節,慶応2.8.26外国奉行兼帯
10
新藤   箱館奉行支配組頭 文久3.12.14 慶応3.10.23 製鉄奉行並 〈箱館奉行並〉
11
杉浦誠 兵庫頭 勤仕並寄合 慶応2.正.18 (慶応4.4.X)   慶応3.10.28勘定奉行兼帯−(最後の箱館奉行)
12
栗本(瀬兵衛)鯤 安芸守 外国奉行 慶応3.6.5(兼)   勘定奉行兼帯,慶応3.6渡仏,渡仏中幕府崩壊
13
織田(市歳)信重 和泉守 勘定奉行(勝手方) 慶応3.9.6(兼) 慶応4.2.12 大目付  
14
橋本悌裁   一橋殿郡奉行 慶応4.2.12 (慶応4.4.X)   〈箱館奉行並〉
嘉永7(安改元)年6月30日再置,役高 2,000石、役料1,500俵、席順は下田奉行次席
「柳営補任」(『大日本近世史料』)、『維新史料綱要』等により作成
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