| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第5章 箱館開港 御雇医師/外国医師と施療
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御雇医師 P674−P675 幕府再直轄時代の御雇医師としては、田沢春堂、塩田順庵、下山仙庵、柏倉忠粛などの名が見られる。春堂は南部佐井の人で、江戸の吉田長淑の門に入って西洋医術を修め、高野長英と同門であった。箱館に来て開業中安政2(1855)年箱館奉行所の雇医師に任じられた。順庵は加州金沢の人で増島蘭園に学び、官医塩田宗温に請われて養子となり、安政3年蝦夷地在住を命じられ、箱館奉行所学問教授役となった。仙庵は仙台の人で、箱館の町医師であったが、安政5年奉行所雇医師に任じられた。忠粛は出羽村山郡の人で米沢で医を学び、箱館に来て開業中万延元年箱館病院頭取に挙げられた。安政4年幕命を受けて、蝦夷地のアイヌに強制種痘に来た深瀬洋春は、箱館の生まれであるがのちに述べる。奉行所の役人であった栗本匏庵も医籍の人である。 文久のころには、官医、町医など合わせて40人近くいた。
外国人医師と施療 P675−P676 安政5年2月、米人医師G・M・ヘーツが来箱、同国貿易事務官ライスと共に浄玄寺に止宿し、9月にはロシアから医師ゼレンスキーが同国の領事と共に来て居住した。また、ロシアからは海軍軍医アルプレヒトも来ている。 救命の儀ニ候得ば無二余儀一事情にも相聞候得共、終ニは其恩儀を感じ、深く信じ親しミ候処より、後弊をも可レ生道理ニ付、右医師より御国の医師修業候儀は格別、夷人より療治受候もの共ハ、追々ニ相止、後害無レ之様差含、被二取扱一候様存候事(『幕末外国関係文書』)。 という達しが出された。また、文久年間、官雇医師から、ロシアその他の外国人医師を病院(次項医学所)へ出張診察させたいという請願があり、文久2年、奉行は、病院で外国人医師に診察させるというのは面目に関するので「医学伝習」という名目でこれを許した。 |
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