通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第5章 箱館開港
第13節 教育・学芸・衛生
3 衛生

疾病/医師

御雇医師/外国人医師と施療

箱館医学所(兼病院)/医師の取締

ロシア病院

種痘の先駆

種痘の普及/水腫病対策/薬物と売薬行為

疫病   P674

 蝦夷地において最も恐れられたのは、天然痘の流行であった。寛永元(1624)年初夏から2、3年にわたって蔓(まん)延し、藩公の子息までも死に巻きこみ、また万治元(1658)年には春夏の間に発生し、秋には亀田にも蔓延したといい、更に文化6(1809)年には、六箇場所のうち尾札部に流行したという記録が見られる。こうした天然痘の流行は、処女地である蝦夷地に入り、猛威を振い、蝦夷の人口に大打撃を与えた。
 天然痘のほか、寛政3(1791)年に渡来した、筑後柳川藩医淡輪(たんわな)元朔の『東奥遊記』によると、このころ和人地にあった病気は血毒、湿痺、梅毒、脚気、気積などの病名が見られ、また菅江真澄の紀行文には疝気(せんき)の名も見える。

医師   P674

 松前藩士らのためには、藩の御抱医師などもあったらしいが、一般庶民は神仏に祈り、加持祈祷に頼るほかなく、流行病などは自然の終息を待つばかりであった。箱館八幡宮の末社八郎大明神は、疱瘡が流行した時に、官から祈祷を命じられている。こうしたなかに町人にも榊家(箱館の問屋)の2代雄明、3代雄春らのように医術に通じた者もあったが、やはり本職の医師が期待され、旅医者などは尊重された。元朔の記録によると、当時の箱館の町医者として、白鳥喬庵と下山仙安(仙庵)の名が出てくる。文化5年の『御触書御仕方人別帳』には、7戸の医師がいたことが記録されているが、その氏名はわからない。そのほか弘化年中には柏倉忠粛も箱館に来て開業している。町医師に対して官雇医師もいたが、文化年間にはその1人として、下総銚子の人で前田温卿(『氈裘文筌』の著者)が、蝦夷地を回り、箱館にも寄っている。また蝦夷地の警備に任じた各藩の陣屋詰の医師もいたらしい。
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