| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第5章 箱館開港 外国人による語学教育 |
外国人による語学教育 P666−P667
慶応元年7月、幕府は山内作左衛門、市川文吉、田中次郎、大築彦五郎、緒方城太郎、小沢清次郎及び志賀浦太郎の7人を箱館から露艦に乗せてロシアに留学させることにしたが、これは浦太郎が、文久元年の幕府のオランダ留学をまねて、自分もロシアに留学しようと画策し、ゴスケウィッチの口から幕府に進言させたものといわれる。ところが樺太境界画定の件でロシアから代理公使が来るというので、浦太郎だけはこれに加わることができなかった。ロシア留学は幕府の財政的理由で1年2か月で文吉だけを残し、他は境界画定談判のため赴いた小出秀実一行とともに帰朝した。 ロシア領事館には、またイワン・マホフという館付の司祭がおり、文久元年『ろしやのいろは』という露語入門書を印行している。その序文に「ヲロシヤノ、サムライハ、ニッポンノコドモ、ミナニ、シンモツ、ロシヤノイロハ」と記しているから、日本の子供向けのものとして書いたことがわかる。このあとに来た司祭ニコライも邦人に露語を教えている。 安政6年10月、フランス領事館付書記官としてきたメルメ・デ・カションは、天主公教会の宣教師であるが、『英仏和辞典』『宣教師用会話書』『アイヌ語小辞典』などを箱館で編集し、私塾を開いてフランス語を教授した。塩田三郎(のちの公使)や立広作も、彼からフランス語を学んでおり、4年足らずの滞箱であったが、フランス語播種の功績は大きい。栗本匏庵も奉行の命で彼から仏語を学び、また逆にカションに日本語を教えるという交換教授を行っている。
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