| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第5章 箱館開港 前浜漁業/鰯漁/鰊漁 |
前浜漁業 P648−P649 この時代の箱館経済は商業および漁業によって維持されたが、商業は今日のように繁忙なものではなかったので、各戸では大てい小網や釣具を備えておき、鰊・鰯・いかなどの漁期には、漁民はもちろん、商業者に至るまで小舟を浮かべて出漁したものである。鰯漁 P649 鰯漁業は前時代すでに発達していたので、この時代には、ただ旧態依然、これを維持するだけであり、外浜はもちろん、内浜といった港内にも相応に群来したので、いまの若松町や海岸町から亀田あたりの海岸に至るまで、鰯漁場が沢山あったものと伝えている。鰊漁 P649−P650
安政2年3月13日、箱館港口の地、押付、山背泊、弁天崎の辺へ、鰊がおびただしく寄せ来たった。漁民はもちろん市中の人々までが、網を準備し、持符船に乗って出漁した。14日、15日に至ってますます「群来(クキ)が付」き、そのため海水が真白になるほどで、漁獲はすこぶる多かった。船1艘に網1差し(長さ約3メートル余、幅約2メートル余の網を4枚継ぎ合せたもの)で漁をするのであるが、船の大小、網の広狭もあって一様ではないものの、1度の網おろしですぐに満船となり、1日に幾度となく陸揚げをした程であったから、その量ははかり知れなかった。20日ころから石崎、銭亀沢、志海苔の各村の浜や、大森浜にも群来があり、相当の漁獲を挙げた。このような大漁は、30年来か、あるいは60年来のことだという古老もあり、とにかく稀にみる大漁であったので、街は活況を呈した。在勤の箱館奉行竹内保徳は、このため奢侈(しゃし)に流れ、却って不良の結果を招くことを憂え、次の通り諭告を発したほどである。 鰊漁の儀近来稀なる大漁にこれある趣、依っては銘々心弛(ゆる)み、自然不益の費などこれあるものに候条、不漁の年柄を顧み、油断なくいよいよ質素を相守り、身上堅く相保ち候様、厚く心懸くべく候。
箱館市中で、漁師はもちろん、素人の網持ち、豪商の持つ網を合わせると、その数は、およそ1万差しばかりと見積られ、これをもって数えれば、1差の漁網に2石とみて、実に2万石に余る漁獲があったということになる。わずか数日の間にこのような漁獲をみたことは、市中の者にとって、大きなよろこびであった。 |
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