通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第5章 箱館開港
第2節 蝦夷地再直轄と箱館奉行

箱館付近の上知/堀・村垣の復命

蝦夷地の上知/松前藩の処遇/奉行の増員/奉行支配吏員

箱館及び蝦夷地の警衛/警備地の領地化

崇広の嘆願/奉行の更迭異動

蝦夷地の上知   P581

 幕府はこれらの意見書を勘定奉行などに示して、その意見を求めたところ、消極的ではあったが堀、村垣の意見に賛成し、翌安政2(1855)年正月、更に利熙、範正らは諸方面の意見を総合的に熟考したうえ、上知の必要を力説したので、幕府は同年2月23日、松前藩に達して、東部木古内村以東、西部乙部村以北、東西蝦夷地島々まで上知させ、箱館奉行に管轄させた。同年3月5日、西在および東西蝦夷地の版図を松前氏から受取り、東蝦夷地へは箱館奉行支配組頭河津祐邦、西蝦夷地および北蝦夷地へは、同向山篤を遣わして各場所を引き継がせた。

松前藩の処遇   P581

 松前藩の領地はこれによって著しく縮小された。士民の驚きも大きく、なかには脱藩してひそかに回復をはかろうとした者や、村名主外数名が江戸に上り、老中に駕籠(かご)訴して捕えられ、藩に引渡された者もあった。
 しかし同年12月4日、崇広は蝦夷地歳入の代償として、幕府から陸奥国伊達郡梁川、出羽国村山郡東根の地、あわせて3万石を支給され、別に出羽国村山郡尾花沢1万石分を預地とし、加えて年々金1万8000両を給されることになり、従来1万石の格式であったものが3万石の格式となったので、前直轄時の懲罰的な移封に比べれば非常な優遇であった。そして藩主は、いぜん福山に藩臣とともにとどまり、梁川、東根、尾花沢にそれぞれ代官を派遣して治めさせた。

奉行の増員   P581

 箱館奉行は前述のごとく当初は2人で、江戸と箱館とに交互に在勤したが、安政3年7月28日、更に1名を増員し、村垣範正をこれに補し、淡路守に任じそして1人は江戸にあり、1人は箱館に在勤、1人は蝦夷地を巡回させることにした。安政5年10月11日、また1名を加えて4人とし、目付津田正路(近江守)が任命されたが、これは掘利熙と村垣範正が、ともに外国奉行を兼任したため、極めて繁忙であったからである。

奉行支配吏員   P581−P582


村垣淡路守範正

 また、箱館奉行支配の属吏は、組頭、組頭勤方、調役、調役並、調役下役元締、調役下役、同心組頭、同心、足軽の順序で、ほかに通訳、在住、雇、雇医師があった。前時代と違うのは、ただ吟味役を組頭に改めたのと、安政6年4月調役下役が定役と改められた2点だけである。組頭は同勤方を合わせて大抵同時に3、4人を置き、箱館奉行を補佐したが、前時代の吟味役と同じく練達の士であった。調役および調役並は大抵10数名いて、箱館、江戸および蝦夷地の要所に在勤し、定役は数十名、同心もまた数十名あっていずれも各地に在勤していた。在住はしだいに増加して100余名となり、箱館近在および蝦夷地に居住して開墾その他に従い、あるいは奉行所の公務を兼掌した。雇は開拓その他必要によって特に雇入れた者で、これにも有為の士が多く、雇医師は10数名あり、箱館および蝦夷地に在勤していた。

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