通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第5章 箱館開港
第1節 箱館開港の経緯
2 ペリーの箱館来港

松前藩への通達

市在住民への触書

アメリカ艦隊の入港

艦隊の動静

旗艦ポーハタン号の入港

アメリカ士官との応接

士官らの市中見物

松前藩の回答書

勘解由の米艦訪問

ペリー提督上陸会談

幕吏の来箱/噴火湾及び室蘭港調査

2水兵の埋葬

箱館住民との接触/アメリカ人の見た箱館

写真撮影/松前藩役人に対する批判/艦隊の抜錨/遊歩区域の確定と批准

写真撮影   P577−P578


遠藤又左衛門とその従者
 また、箱館の人々を驚かせたものに、黒人と写真がある。すなわち、4月26日「二、三名の黒人どもは、店の近くに立っていて、遠藤(又左衛門)を驚かした。彼はクロンボはどんなものであるか知らなかったので、顔を塗っているのではないかと、幾度も尋ねた。」と、『ペリー日本遠征日誌』に記され、写真については4月28日、「朝に遠藤と石塚官蔵は肖像写真をとってもらった。彼らは彼ら自身と、背後に槍を持ち、帽子をかぶり、特殊な鎧を着た家来どもをしたがえている乾板を見て非常に喜こんだ。写真術について今まで聞いたことのあるものは、この地に誰もいなかった。珍らしさと驚嘆と喜びは、彼らの態度と問答の中に等しくあらわれていた。」(前同)とあるが、これはペリーに随行したブラウンが撮影したもので、現存するものでは、この2人の外に松前勘解由とその従者で撮ったものがある。
 このほか写真については、「廿三、四日(四月)頃より、実行寺へ上陸のもの両三人これあり、このもの等絵図面方と見得たり。すべて絵図面取候には鏡を立候得ば、其鏡に絵図面人物に拘らず、鏡に其侭相移(写)り、其場より鏡取候ても移(写)り候もの鏡より取れず候由、若し哉、魔術かとの市中の噂。人物移(写)され候御方、御城下御役人両三人、御当所御役人一両人、山之上町上田屋稲蔵娘一人、小住と申す茶屋の婦人一人、同職の婦人一人、都合三人、外に移(写)され候ものこれあり候由にて候得共、名前存ぜず。」(『亜墨利加一条写』)というようにかなり多くの写真が撮られているらしく、まさに魔法使いのような驚異に目をみはっている。

松前藩役人に対する批判   P578

 ことにアメリカ側は松前藩の役人に対し、「勘解由は明らかに無気力の男で、なにか責任をとることを恐れているにもかかわらず、すべての拒否を、穏便にあたかも私どもに同意さすことを望んでいたらしかった。」(『ペリー日本遠征日誌』)と、極めて厳しい批判をしている。

艦隊の抜錨   P578−P579

 以上のようにしてアメリカ艦隊は、5月8日午前6時過ぎ、箱館港を抜錨して下田に向かった。思えば実18日間の長きにわたり、異人や異船の見物も禁止されていた市民も、長々の憂いが晴れた思いで、高みや山背泊まで見物に出かけた者もあり、また、これまで隠れていた婦人や子供なども、ようよう蔵や家々の奥から出られて安堵の思いをするとともに、商家もそれぞれ店開きしたと伝えられている。

遊歩区域の確定と批准   P578−P579

 なお、ペリー提督が下田において再び林大学頭らと会談した結果、5月22日和親条約付録を締結し、その第11条によって箱館における遊歩区域は、半径5里に制限して定められたが、この決定に当たっては両者の間にしばしば大論争がみられたという。本条約の批准交換は、翌安政2(1855)年使節アダムスが来朝して、正月5日下田で完了した。
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