| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
||
|
第5章 箱館開港 写真撮影/松前藩役人に対する批判/艦隊の抜錨/遊歩区域の確定と批准 |
写真撮影 P577−P578
このほか写真については、「廿三、四日(四月)頃より、実行寺へ上陸のもの両三人これあり、このもの等絵図面方と見得たり。すべて絵図面取候には鏡を立候得ば、其鏡に絵図面人物に拘らず、鏡に其侭相移(写)り、其場より鏡取候ても移(写)り候もの鏡より取れず候由、若し哉、魔術かとの市中の噂。人物移(写)され候御方、御城下御役人両三人、御当所御役人一両人、山之上町 松前藩役人に対する批判 P578 ことにアメリカ側は松前藩の役人に対し、「勘解由は明らかに無気力の男で、なにか責任をとることを恐れているにもかかわらず、すべての拒否を、穏便にあたかも私どもに同意さすことを望んでいたらしかった。」(『ペリー日本遠征日誌』)と、極めて厳しい批判をしている。艦隊の抜錨 P578−P579 以上のようにしてアメリカ艦隊は、5月8日午前6時過ぎ、箱館港を抜錨して下田に向かった。思えば実18日間の長きにわたり、異人や異船の見物も禁止されていた市民も、長々の憂いが晴れた思いで、高みや山背泊まで見物に出かけた者もあり、また、これまで隠れていた婦人や子供なども、ようよう蔵や家々の奥から出られて安堵の思いをするとともに、商家もそれぞれ店開きしたと伝えられている。遊歩区域の確定と批准 P578−P579 なお、ペリー提督が下田において再び林大学頭らと会談した結果、5月22日和親条約付録を締結し、その第11条によって箱館における遊歩区域は、半径5里に制限して定められたが、この決定に当たっては両者の間にしばしば大論争がみられたという。本条約の批准交換は、翌安政2(1855)年使節アダムスが来朝して、正月5日下田で完了した。 |
|
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第1巻第3編目次 | 前へ | 次へ | ||