| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第5章 箱館開港 旗艦ポーハタン号の入港 |
旗艦ポーハタン号の入港 P561−P563 提督ペリーの座乗するポーハタン号と、ミシシッピー号の2艦が入港したのは4月21日であった。すなわち、『亜国来使記』によれば、 四月廿一日 さて、この日の応接方藤原主馬らのアメリカ艦中における応接の次第を、『ペルリ提督日本遠征記』には、次のように記されている。 汽船が投錨してから僅(わず)か二三時間すると、一般の小舟が静かに旗艦に近づいて来た。艫(とも)にある例の黒縞の旗と紋章のついている大旗から推して、それは政府の御用船であることが知られた。その構造は、他の地で見た小舟と甚だよく似ていたけれども、ずっと重々しくつくられた不恰好な型のものであった。八人の漕手は揃いの着物−暗青色と白色との−を着、背には自分達の仕へている役人の紋章がついていた。彼等の小舟は櫓(ろ)で漕がれずに櫂(かい)で漕がれ、日本の政府御用船の普通速力よりも遙かに遅かった。パウアタン号の舷側に到着するや否や、数人の日本役人が乗込んで来た。彼等が到着した時、日本委員から提督が受取った手紙と支那語で書いた条約の写し一通とを彼等に提出した。彼等の述べるところによると、アメリカ人と箱館で会見するために選ばれた役人は、江戸からまだ到着していないとのことであり、又人民達も我が艦隊が今回の来訪について予め何も知らなかったし、条約の事又は下田開港のことをも聞いていないので、艦隊の到着に大いに恐駭(がい)しているとのことであった。それから日本の役人達に対して、提督は明日士官の一人を選んで上陸せしめ、当局と協議させようと思うと伝えた。 この応接で松前藩吏が、箱館で会見する役人が江戸から到着していないと述べたことは事実であったが、アメリカ艦隊の箱館来訪については、藩主や藩老への通達によって、すでに承知していたことである。それをあえて知らなかったとするのは、おそらく松前藩がこの国際的な応接に、責任ある応答を出来るだけ回避する意図から出たものであろう。なお、蝦夷地検分のため北上中であった目付堀利熙、勘定吟味役村垣範正が、松前藩の依頼によりペリー応接のため、属僚安間純之進、平山謙次郎らを派遣し、安間らが箱館に着いたのは5月5日のことで、そのことについては後述する。 |
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