| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第4章 松前家復領と箱館 幕吏の文人 |
幕吏の文人 P542−P544
また、谷元旦(文晁の弟)は寛政11年、幕命により蝦夷地の薬草を調査に来た奥詰医師渋江長伯に随行し、その薬草の写生図、ならびに風土、人物、器用、産物など詳細に写生した。この蝦夷草木生図は種類数百種におよび、長伯の記録とともに本草家に珍重され、植物学界に稗益した。元旦は、ほかに紀行文『蝦夷紀行』をまとめ、箱館を「富
箱館奉行羽太正養は文才に富み、『休明光記』9巻を著わして当代の史実を明らかにしたほか、多くの俳句を残し、雇医師新楽閑叟がこれを集めて『蝦夷俳諧歌仙』と名付けている。また正養をとりまく人々もすぐれた学究が多く、さきに教育において述べた馬場正通は、蝦夷地に通用させる新銭について研究し、綿密な造幣策をのこし、正養が蝦夷地経営の必要を切言した『辺策私弁』は、実は正通の『辺策発朦』に加筆したものであったという。その他、正通には蝦夷地経営に対する卓越した意見を盛った『長夜余論』、詩文や書簡を収めた『万木雑稿』など、文学者として恥ずかしからぬものがあった。 享和3(1803)年羽太正養に従って東蝦夷地国後まで行き、和歌を配してきわめてうるわしい文章の行程記『蝦夷(えぞ)の島踏(しまぶみ)』を著した福居芳麿は、縢知文ともいい、『東夷周覧』には箱館の地理、風俗誌を書きつづって往昔をしのばせるものがある。 蝦夷地探検者として有名な松浦武四郎が、弘化2(1845)年はじめて蝦夷地に渡り、箱館の和賀屋孫兵衛の手代という名目で、蝦夷地各地を探訪してまとめたのが『蝦夷日誌』である。これには箱館市中ならびに海岸について詳述されている。武四郎はその後数次にわたって蝦夷地を調査し、数多くの著述もあるが、箱館については『箱館道中名所寿語六』『箱館往来』があり、また『蝦夷漫画』には「箱館湊眺望」および「七重浜眺望之図」などがある。
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