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「函館市史」トップ(総目次)
第4章 松前家復領と箱館
第5節 当時代の箱館事情
箱館の地場産物
鮪漁業と漁法の開発
天保飢饉と箱館
天保12年の戸口/寛永3年の戸口/三港の戸口比較
箱館の町勢
箱館の年中行事および風俗
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天保12年の戸口 P520−P521
天保12年における箱館および箱館地方の戸口数を示せば、次の通りである。
箱館
大町 一二九戸 六四三人 内澗町 一七六戸 八七〇人
地蔵町 二一六戸 一、一五二人 大黒町 一〇六戸 四九七人
神明町 九一戸 四五一人 仲町 八三戸 四一四人
弁天町 二一三戸 一、一八三人 澗町 五〇戸
二四一人
山ノ上町 三〇九戸 一、五二八人 大工町 四三戸 二〇二人
計 一、四一六戸 七、一八一人(内男三、四九〇人・女三、六九一人)
箱館付村々
三二箇村 一、五六三戸 七、五三八人(内男四、〇五二人・女三、四八六人)
六箇場所 六三一戸 二、六八二人(内男一、四三三人・女一、二四九人)
計 二、一九四戸 一〇、二二〇人(内男五、四八五人・女四、七三五人)
とあって、箱館は松前藩復領当時の戸数1000余戸か1,416戸に増加している。また当時32か村の内、今日函館市に属する尻沢辺村や亀田村などの各村についても、相応の増加があったものとみられる。
嘉永3年の戸口 P521−P522
天保12年から、更に9年を経過した嘉永3(1850)年の戸口数は次の通りである。
箱館
諸士 五戸 四〇人(男 二二人・女 一八人)
徒土 二六戸 一八八人(男 一〇〇人・女 八八人)
足軽 七九戸 四〇九人(男 二一七人・女 一九二人)
寺 五戸 八四人(男 六九人・女 一五人)
社家 八戸 七七人(男 三八人・女 三九人)
町々 一、六二六戸 八、六八二人(男四、二四〇人・女四、四四二人)
計 一、七四九戸 九、四八○人(男四、六八六人・女四、七九四人)
箱館付村々 二、四五六戸 一二、九〇三人(男六、九五一人・女五、九五二人)
(市川一学の記録)
これによってみれば、天保12年以降9年間に戸数333戸、人口2,299人を増加し、箱館近郷村々は262戸、2,683人の増加をみせている。ただし天保12年の戸口は士卒および寺社を省いたものとも思料されるので、嘉永3年の分から仮りにこれを除いて計算しても、箱館は戸数210戸、人口1,501人を増加している。また『蝦夷実地検考録』によれば、嘉永6年の箱館戸口は戸数1,739戸、人口は9,419人となっているが、士卒、寺社が集計されているか否かは不明である。
三港の戸口比較 P522
嘉永3年におけるいわゆる蝦夷三港の福山、江差、箱館の戸口を比較すると第2表の通りで、箱館市中の戸口はいまだ福山には及ばないが、すでに江差を凌駕し、付近の村々を合わせた人口では第1位に躍進している。その原因は東蝦夷地は漁況不振ではあったが、産物の大部分が箱館に集まり、また箱館付きの土地は比較的広濶で農漁村ともに順調な発達を見せたためである。
第2表 三港の戸口比較
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地名
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戸数
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人口
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男
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女
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福山
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市中
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3,575
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14,133
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7,507
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6,626
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村々
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1,668
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7,746
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4,079
|
3,667
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計
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5,243
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21,879
|
11,586
|
10,293
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江差
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市中
|
1,569
|
6,394
|
3,306
|
3,088
|
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村々
|
2,284
|
8,898
|
4,857
|
4,041
|
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計
|
3,853
|
15,292
|
8,163
|
7,129
|
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箱館
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市中
|
1,749
|
9,480
|
4,686
|
4,794
|
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村々
|
2,456
|
12,903
|
6,951
|
5,952
|
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計
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4,205
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22,383
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11,637
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10,746
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備考 福山村々は知内より小砂子に至る21か村
江差村々は石崎より熊石に至る26か村
箱館村々は木古内より落部に至る42か村 |
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