| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
|
|
第4章 松前家復領と箱館 北前船の発達 |
北前船の発達 P510−P512 箱館の経済は前述のような不振を続けるが、しかしこの時期は同時に北前船の飛躍的な発展をみた時代であった。すなわち、文政・天保期以降の箱館と本州諸港との交易は、この日本海海運の花形にまで成長してくる北前船によって行われた。北前船はいわゆる賃積船ではなく、船頭の意志でどこにでも航海する買積船であり、文化・文政以降になると箱館港にも多く入るようになったばかりか、箱館港を拠点として蝦夷地各場所にまで進出し、単に集荷地である箱館で取引するのみならず、集荷過程の中にまで深く入り込むようになった。従ってこのため、場所産物の売買で大きな役割を果していた問屋の動きも複雑化し、問屋は、こうした動きに積極的に対応して、流通過程から出来る限りの利潤を得ようと努力していった。そこで、ここに場所産物の集荷、売買過程に直接介入する問星の断宿としての機能の変化をみると、さきに第2章第3節3項で述べた通り、断宿というのは、場所産物に対する問屋の支配権をあらわす、問屋機能の中でも重要な構成部分であるが、場所請負制が未発達のうちは、その権利内容も不安定なものであった。しかし、化政期以降場所請負制度が全面的に発展するに至って、断宿の場所産物に対する支配権の内容も、より確固たるものに変化してきている。それを総合的に規定したものが、場所請負制復活直後の文化12(1815)年の規定である。すなわち、 蝦夷地請負宿取究之事 |
| 「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第1巻第3編目次 | 前へ | 次へ | |