通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第4章 松前家復領と箱館
第2節 復領後の箱館経済の動向

箱館経済の不振

三港の景況

三港の景況   P500−P502

 すなわち、当時の箱館、福山、江差の3港の景況を、天保期に書かれた『松前風聞』は、次のように記録している。

 松前城下の富商
 柏屋喜兵衛    三〜四万両位
 住吉屋准兵衛   二〜三万両位
 伊達林右衛門   二万両位
 栖原六兵衛    二万両位
 蛯子屋半兵衛   二万両位
 萬屋増蔵 二万両位
右の外五・六・七千両位の者数多これ有り候。西蝦夷地場所近年漁閙敷くこれ有り候由にて、城下の儀は追々繁昌の様子に相見え申し候。二、三十年以前は甚だ不景気にこれ有り候由、近年に相成り至極宜しき趣。
    江差の分
 榎本五郎右衛門  二〜三万両 漁師仕込
 岸田三右衛門   二万両位 太物店
 大黒屋喜右衛門  一万両位
 上林新九郎     一万両位
 寺島三郎右衛門  一万両位 荒物太物
 関川与左衛門   一万両位 船問屋
 福原和兵衛     一万両位 太物店
    箱館の分
箱館の義は近年東場所不漁、殊に東場所の内宜しき場所は松前城下の者共へ相廻り候に付、箱館場所持共並に市中の者共甚だ不景気にて、中以上の者共に富家と申すは一軒もこれ無く候。中以下の所にて仕出候者二、三千両位の所にて四、五軒、一、二千両位の所にて四、五軒これ有り候哉にて、名前通り候者には一軒もこれなく候。高田屋繁昌の節は、市中も至て繁昌致し候由、公辺にて取扱遊ばされ候節は箱館繁昌仕候。城下は至て不印の由。

また先の『北陲対問』には、

松前城下並びに江差の義は、二、三十年以前よりは大いに開け、至極繁昌の様子に相聞え申し候。近年西蝦夷地漁事相応にこれある故に、此両所は至極繁昌と申す事なり。東蝦夷地の義はネモロの外は不漁打続、箱館は大いに模様宜しからず、同所場所請負人共の内には山田文右衛門の外は、甚だ困窮致し候様子に御座候。中以上の者に当時身代宜しき者は更にこれなく、以下の者共の内に近頃仕出候者にて、一二三千位の者十軒程もこれある可き哉にて、其模様宜しからず候。

とあって、これによっても当時の箱館の様子を知ることができる。また、天保7年箱館沖ノ口役所の調査によれば、同年の米輸入高は65,999俵、酒輸入高10,185樽(1樽2斗入)であり、弘化年間の松前三港における米の輸入量は次の通りである。

松前沖ノ口輸入高 一か年一一、二万俵位
江差沖ノ口輸入高 同  九、一〇万俵位
箱館沖ノ口輸入高 同  八、九万俵位

 しかし、箱館は沖ノ口の取締りが緩やかであったため、実際には抜け荷も相当あったらしく、それを含めると1か年10万俵位に達したであろうといわれている。(松浦武四郎『蝦夷波奈志』)
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