| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第4章 松前家復領と箱館 藩政の実状
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藩政の実状 P498−P499 しかし、このようにして復活した松前藩の統治も、幕府が期待したようにはならず、14代藩主章広の没後は、老臣の専横に加えて奸臣がこれに乗じてはびこるといった有様で、綱紀の乱脈、藩政の弛緩から取締りも行届かなかった。当時の松前藩の一般的な施政を物語る一つの文献として、天保年間に著述された『北陸対問』というのがあるが、これはそのころ松前や蝦夷地に通商のためしばしば往来し、その内情にくわしかった常陸(ひたち)の大内清右衛門という者から、水戸藩彰考館総裁国友善庵が、いろいろ聞きだして記述したものである。それによれば勤番役人などは、「夷人共万一不時等これ有り候節は、役夷人同道にて会所へ呼び出し、それぞれ申し含め、右にて強情等申し候者は、縄下位の所まで取計い候」と、会所詰合程度の者でさえ、捕縄くらいの刑罰権限をもっていた。しかもその会所役人というのは士分のものではなく、「町内の者共へ格を付け役所へ詰めさせ、すべて取扱わせ候様子にて、益筋の事は油断なく取計い候様子に相聞え、公辺の御扱いとは大いに違い候様子に相聞え申し候。下役は足軽を使い候得共、この足軽も皆町方より召し抱え、下々の事は委細に弁え居り、松前の政事は収納専一に相見え、其外の政事は余り世話致さざる様に相見え申し候。」とあって、町方から雇われたものが役所に詰めて、商人同様の方法で藩の利益になることならば、油断もすきもなく取計らい、政事とは収納をもって第一としていたことを物語っている。 |
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