通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第4章 松前家復領と箱館
第1節 松前家復領と藩政

松前藩復領の経緯

版図引継/藩の職制/箱館の警備/知行制

藩政の実状

版図引継   P496

 かくて文政5年3月、松前藩転封後の本領梁川から家老蠣崎将監、松前内蔵、用人工藤八郎右衛門が松前に至り、4月13日福山で幕府吟味役森覚蔵らから福山城ならびに松前から樺太に至る版図を受取り、また箱館では工藤八郎右衛門が、普請役元締並福井千馬助から沖ノ口を、同じく吟味役三浦義十郎から箱館地方および東蝦夷地の版図を、それぞれ引継いだ。
 幕府はその時、箱館その他市在への貸金4万両を棄損し、一方、アイヌ一同に対しても、各地の引継ぎが終るとそれぞれ酒を賜い、アイヌの撫育や産物の取捌きなどの取扱い方、その他の仕法などもこれまでと変わることがないから、一同安心して生業に励むよう申渡している。当時松前家の窮乏ははなはだしく、梁川からの移転費用なども、江戸の商人伊達浅之助(林右衛門の本店)や栖原角兵衛(半次郎の本店)などに用金を調達させて支弁したといわれる。(『伊達家文書』)

藩の職制   P497

 復領後の藩の職制は、前藩制と同じく家老および用人が藩政の要務をつかさどり、その下に寺社町奉行、町吟味役、沖ノ口奉行、同吟味役、勘定奉行、同吟味役、作事奉行および目付があり、箱館には箱館奉行、江差には江差奉行をおいて、その地方を管理させた。そのほか町政は幕府直轄時代と同じで、町年寄をおいて町奉行の指揮により市中取締りに任じ、市民に法度を頒布してこれを守らせ、また諸税の取立て上納をつかさどり、その指揮を受けて出納事務を行う町下代が設けられ、名主の下で受け持ち町内の宗門改その他の雑務を行う町代が置かれた。

箱館の警備   P497

 箱館勤番役人は、奉行1人・目付2人・士8人・徒士13人・足軽70人・医師2人・外科2人が在勤し、鉄砲150目1挺・100目11挺・50目2挺・30匁5挺・10匁18挺・6匁70挺・5匁15挺・3匁5分52挺が備付けられた。そのほか前時代から引続き、次のような台場が置かれていた。

ヤゲナイ台場   鉄砲一貫目・五百目・三百目・百五十目各一挺。
箱館弁天台場   一貫目筒・三百目筒各一挺。
箱館山背泊台場 三百目筒二挺。 
箱館押付台場   五百目筒一挺・百目筒一挺。 
箱館立待台場   五百目筒・三百日筒・百五十目筒各一挺。 
汐首崎台場    三百目筒二挺・百目筒一挺。

これらを擁して、この地方の警備に当っている。

知行制   P497−P498

 家臣の知行制については、前藩政時代の知行地制を廃止し、すべて藩の直轄に改め、家臣に対する知行は米・金銭をもって支給した。この制度は文政6年4月から実施されたもので、100石20両の割で半額は米、半額は金銭でもって、3月と9月の2季にわけて支給した。支給額は家老級の700石を最高に、寄合席の500石から漸次減少し、侍の末席御手先組は110石、それ以下の徒士・足軽は切米取と称して1人扶持金2両を支給した。そしてこれらの財源は、藩が直接場所を支配し、場所請負商人から得る運上金によって賄われた。
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