通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世


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第3章 幕府直轄下の箱館
第10節 戸口および生活風俗

戸口/職業別戸数

住民性格/生活/風俗/衣服/食物

風俗改善の諭書

住民性格   P489−P490

 箱館の住民は、その多くは奥羽地方からの移住者であるが、その後、北陸地方および近江地方からの移住者も漸次に加えている。享和元年幕吏福居芳磨の筆になる『東夷周覧』では、箱館を次のように誌している。

 此処の人物奢侈を好み生活にうとく性質惰弱なり。然れども諸国より商船出入し、諸国の産物坐ながらにして之を得、又蝦夷地産物等を以て諸国へ鬻(ひさ)ぎ、金銀の徳多き故、人心自然と奢るものとなるは人情のならはせによる。故に此所に生立たる者は、金銀自由なるに任せ微の利を事とせず、唯遊興歓楽にのみ身を持ちなす故に、富商となるもの寡し。他国より来りて生活をなすものは、財の得難きを知りて、他国に用ゆる力を此所に用ゆる故卒には富商となりて身を安くなすは、時勢の然らしむる所なり。
 此所のもの他国より来りて稼業をなすもの多しと雖も、多くは近江、能登、越後、越前、加賀、南部大抵は此国より来ると云ふ。

 箱館住民を極めてきびしく批判しているが、見ようによっては、当時、箱館の景況がいかに良かったかを物語るものでもある。

生活   P490


童子雪中遊技図 「蝦夷島奇観」より
 漁業商業とも箱館は夏期は繁忙となるのに反し、冬期はまことに閑暇で、人々は多く家にあって炉を囲んで暮した。だから囲炉裏には美しい小砂利などを敷いて清潔にし、かたわらに台子といって高さ5尺(1.5メートル)ばかりの違いだなを置き、茶器などを体裁よく備えて静かに生活し、子供たちは雪中坂に上り雪滑りに興じ、「されよ!されよ!」と呼びながら、すこぶる活発であった。正月は雪が多いので羽子板遊びはなく、紙蔦(たこ)あげは5月ころになって行われ、7月には盆踊りが男女打ち混じってはなはだ盛んであった。お祭では八幡宮の祭礼がこのころから盛大に挙行されてにぎわったものである。

風俗   P490

 女子の風俗について『函館区史』は、「蝦夷島奇観に、『髪長くして美形細腰なる者多し』と記す。柔媚の態あるを云へるものなるべし。結婚の後も眉を剃らざるは当時本道一般の風習なりしものの如し、或は云ふ一、二年の後眉を剃ると」と記している。

衣服   P490-P491

 衣服は男女とも雑役に従事するものほ普通木綿の「ムジリ」または「アツシ」を着し、儀式には羽織袴あるいは上下を用いた。アツシはアイヌの織物でオヒョウ樹の皮を温泉に浸して裂き、その織維で織ったもので間々アイヌ模様の刺繍(ぬいとり)したものもあった。女子は平生前垂の紐を広くして帯の代りとした。一般に女子は裁縫をよくし家族の衣類は皆自らこれを作り、また足袋などを刺すのが巧みであった。

食物   P491

 食物は米を常用し、奥羽および北陸地方から供給を受け、この地方が凶作の年には中国や九州地方からこれを求めたので、はなはだしい困難はなかった。それがため奥羽地方の凶作の年などには、ひそかに渡航して餓死を免れた者も少なくなかった。副食物は魚類および蔬菜で、魚類は鰊・鮭などを主とし、鰊は鮓(すし)、片身おろし、割鰊、ぬかづけ、塩づけおよび大根と漬(つ)け混ぜた物などがあった。鮭は塩引、楚割(そわり、頭を除き皮に肉を薄く付けて乾したもの)、荒巻、鮓、筋子などがあって、常に貯えておいて種々に調理して食した。蔬菜は近村から出たが品不足で高く、果実は近村に梨・李などがあるが、多くは他の地方から移入し、冬期の蜜柑は最も珍重された。
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