| 通説編第1巻 第3編 古代・中世・近世 |
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第3章 幕府直轄下の箱館 戸口/職業別戸数 |
戸口 P487 幕府の直轄以後、箱館の発展はめざましく戸口は著しく増加した。すなわち、寛政11(1799)年には400余戸に過ぎないといわれていたものが、
とあって、享和2(1802)年には750余戸と、わずか3年間に350戸の増加を示している。しかも文化3(1806)年10月、弁天町河岸から出火して、約300戸を頼焼しているにもかかわらず、その後の戸口は次に示す通り、
と、依然年々増加の趨勢をたどり、これに寄留者を合算すれば、文化9年の文書によれは戸数97、80戸とみられるように、もはや1,000戸に達せんとする情勢にあった。 職業別戸数 P488−P489 なお、文化5年ないし6年における、箱館市中の職業別戸数を挙げれば次の通りである。
以上のような業態を示している。(『函館商業史の一環』) また、箱館近郊村落の戸口も文化6年の調査によると、
合計1,720戸、7,656人を数え、これを天明年間に比較すれば実に隔世の感があった。ただ、ここで注目されることは男女性別の割合で、古来本道の人口は自然増加と移住者によって増殖をみたが、移住者は男性が多く女性が少ないため、総人口においては男が多く女が少ないのが通例であった。しかるに箱館においては女性の数が男性の数を超過する例外の現象をみせている。 |
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